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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1878(明治11)年12月16日 (38歳) 『東京経済雑誌』創刊 【『渋沢栄一伝記資料』第5巻掲載】

栄一各行の捐費に依り田口卯吉をして理財新報並に銀行雑誌を合併し一雑誌を創刊せしめんことを諮る。衆異議なくよつて第一国立銀行外二行委員となりて此の事務を処理するに決す。明治十二年一月二十九日「東京経済雑誌」創刊され、第十九回以降の録事は同誌に掲載さる。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 1部 実業・経済 / 1章 金融 / 1節 銀行 / 6款 択善会・東京銀行集会所 【第5巻 p.601-603】
・『渋沢栄一伝記資料』第5巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/05.html

択善会の会頭を務めていた渋沢栄一は、その会合の席上で田口卯吉(たぐち・うきち、1855-1905)を紹介し、会の録事を掲載する『理財新報』と大蔵省発行『銀行雑誌』を合併して一冊の雑誌として刊行することを提案しています。この提案は承認され、1879(明治12)年1月、『東京経済雑誌』が創刊されました。
『東京経済雑誌』の創刊については『渋沢栄一伝記資料』第27巻p.504-508「東京経済雑誌」の項目にも関連記事が紹介されています。また『渋沢栄一伝記資料』第5巻p.482には『理財新報』創刊について、第4巻p.167には『銀行雑誌』創刊から発行停止に関する記事がそれぞれ紹介されています。

一、銀行雑誌
  (明治十年十二月初刊)
  是れ一般銀行業者の指針たらしめんとして明治十年十一月六日之が編纂の事務を二等属遠藤敬止・七等属椿韜・御用掛田口卯吉・御雇吹田勘十郎の四名に命じ、十二月第一号を出版せしに頗る好評を博し、其刊行部数は明治十一年六月第七号を以て実に一千部の多きに達せり。然れとも官府に於て斯かる事業を為すは固より一時の権宜に出て、加ふるに銀行監督の常務日に益々増加すると共に、雑誌発刊の事務稍々煩累を覚ゆるに至りたるを以て、銀行課長岩崎小二郎並に第一国立銀行頭取渋沢栄一等、田口卯吉に勧めて銀行雑誌と理財新報とを合併して、新に東京経済雑誌を民間に興さしむる事となし、爾後銀行雑誌の発行を停め、明治十二年一月より其材料を挙けて東京経済雑誌に投して掲載せしめたり。
(『渋沢栄一伝記資料』第4巻p.167)