是日栄一、去る十四日に於ける当委員会小委員会の協議に基づき、アメリカ合衆国内の知友七十余名に対して書を送り、合衆国千九百二十四年移民法通過前後に於て試みたる努力に対して謝意を表し、尚此問題は、是にて解決せられたるものにあらず、正しき解決を見ざる間は真に解決せらるることなきものなる所以を説明す。
出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 2節 米国加州日本移民排斥問題 / 3款 日米関係委員会 【第34巻 p.418-454】
・『渋沢栄一伝記資料』第34巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/34.html
1924(大正13)年7月、アメリカにおいて移住受入数制限を国別に定める移民法が施行されたことで日本からの移住は実質不可能となり、日米関係には緊張が高まっていました。この法案成立を阻止すべく尽力していた渋沢栄一は、同年12月25日に米国の知人友人に宛てて協力への感謝を述べる書簡を送っています。
『渋沢栄一伝記資料』第34巻p.400-401には「日米関係委員会集会記事摘要」からの転載として書簡の体裁・内容に関する日米関係委員会での協議記録が、p.418-422には「日米関係委員会往復書類(一)」からの転載として栄一が送った書簡の文面と送付先リストが、p.425-454には日米関係委員会「雑綴」からの転載として主な返信書簡が紹介されています。
なお米ワシントン大学図書館所蔵のトーマス・バーク関係文書の中には、この時に栄一がバークに宛てて送った書簡が保管されています。
参考:Thomas Burke papers
〔Special Collections, UW Libraries〕
http://www.lib.washington.edu/specialcoll/findaids/docs/papersrecords/BurkeThomas1483.xml