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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1915(大正4)年1月8日 (74歳) 政府調停の顛末報告 【『渋沢栄一伝記資料』第56巻掲載】

是より先、栄一、当協会の総意に基き、総理大臣大隈重信及び政友会総裁原敬をそれぞれ訪問して、政府及び在野党間の政府調停に尽力せしも成らず、遂に衆議院の解散を見るに至る。是日、東京商業会議所に於て、当協会幹事会開かる。栄一出席し、右顛末を報告す。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 2部 実業・経済 / 7章 経済団体及ビ民間諸会 / 2節 其他ノ経済団体及ビ民間諸会 / 4款 日本実業協会 【第56巻 p.273-278】
・『渋沢栄一伝記資料』第56巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/56.html

1914(大正3)年、政争から議会解散が危ぶまれる状況に、渋沢栄一を会長とする日本実業協会は、大隈重信原敬の両者を訪ねて事態収拾に向けて説得を試みましました。

[前略] 昨今の政界は甚だ危険状態に陥りつゝあり、我等実業家としては衝突問題が果して那辺にありとするも、本年若し議会の解散を来すか或は内閣の更迭を見るが如きことあらんには、茲に三箇年連続して予算の不成立を来す次第なれば、国家の事業は果して如何に成り行く可きや甚だ心元なき事なり、[中略] 今回の政争に就ては実業家各自意見を異にする所もある可しと雖も、去る八月政府が独逸に対して最後通牒を発せし時政府は我等実業家を招きて種々懇談する所ありしが、其折我等は総て一致の行動を取り、多少の利害関係は之を省みず、軍国の事に従ふ可きを決せり、故に当時の覚悟を以てすれば、此際多少の不平、多少の不利益の如きは之を忍び、以て一致同、実業界の将来の為めに尽す可きは至当なりと信ず、而して我等は敢て今回の政争の仲裁を為さんと欲する者に非ずと雖も、今は誠に国家大事の秋なるを以て、政府及び政党に対して其旨を陳述し度きものと思ふ次第なり。[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第56巻p.275。日本実業協会評議員会での栄一の発言より)

しかしながら、その説得は功を奏することなく衆議院は遂に解散となりました。栄一らが試みた調停の顛末は『渋沢栄一伝記資料』第56巻p.274-278に『竜門雑誌』第320号(1915.01)「政争調停の経過」からの転載として詳しく紹介されています。

[前略] 徒らに些々たる感情に囚はれ、区々たる事情に拘泥し、以て単に自ら政争に勝たんとのみ焦りて国家の大事を忘るゝは、党弊其極に達せるものといふべし。
(『渋沢栄一伝記資料』第56巻p.278。東京朝日新聞記者に栄一が語った談話より)