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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1879(明治12)年1月26日 (38歳) 福田会会計監督を嘱託される 【『渋沢栄一伝記資料』第24巻掲載】

是より先、諸宗教導職相会盟して福田会を興し育児院を設立せんとし、是月十七日東京府庁に上申、同二十一日許さる。是日栄一、当会会計監督を嘱託さる。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 2部 社会公共事業 / 1章 社会事業 / 1節 養育院其他 / 2款 福田会 【第24巻 p.233-245】
・『渋沢栄一伝記資料』第24巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/24.html

福田会(ふくでんかい)は「貧困無告の児女を収養すべき社団」として今川貞山、杉浦譲(すぎうら・ゆずる、1835-1877)、伊達自得(伊達千広:だて・ちひろ、1802-1877)の発議により、仏教関係有志を中心に設立された団体です
1879(明治12)年1月26日、渋沢栄一ら6名の実業家は同会より依頼を受けて会計監督に就任しました。『渋沢栄一伝記資料』第24巻p.244-245には福田会創立の経緯が『福田会沿革略史』(福田会, 1909.05)p.315の引用として以下のように紹介されています。

    本会の総立及沿革概要
明治九年三月六日今川貞山・杉浦譲・伊達自得の三氏創めて仏教上慈悲の旨趣に基き、汎く貧困無告の児女を収養すべき社団を建設せんことを発議す、爾後有志の緇素此義挙を聞き、賛成入会する者頗る多く会を名けて福田と称し、其児女を収養撫育する処を育児院と号す、[中略] 創業の際、本会の発起者として斡旋せられし人士固より尠からずと雖も、中に就き特に最も力を致し、本会今日の基礎を定めしは僧侶に在ては今川貞山・福田行戒・石泉信如・五古快全・大崎行智・秋庭主窓・伊沢紹倫・石山覚湛・吉堀慈恭・福田日耀・獅子岳快猛・佐竹徴禅・田中光厳・加藤日掌・牧田精巌・今井直達・新井日薩・滝谷琢宗・大谷黙了・藤田古梅・桜井敬徳・樹下覚三・岡田順誘等の諸師。在家に於ては山岡鉄太郎・高橋精一・川井文蔵・島田蕃根・山内瑞円[・]渋沢栄一・福地源一郎・益田孝・三野村利助・渋沢喜作・大倉喜八郎[・]三避亭円朝等の諸氏なり。
(『渋沢栄一伝記資料』第24巻p.244-245)

参考:社会福祉法人福田会
http://www.fukudenkai.or.jp/
福田会の略史」「創立時の功労者」「育児院の写真」で、福田会編『福田会沿革略史』のデジタル画像やテキストを閲覧することができます。