出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 3部 身辺 / 1章 家庭生活 / 4節 趣味 / 2款 和歌 【第29巻 p.224-225】
・『渋沢栄一伝記資料』第29巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/29.html
二月十七日 晴 風寒シ
○上略
午前九時半新橋停車場ニ抵リ、高橋是清氏ノ欧洲行ヲ送別シ一首ノ国歌ヲ贐ス
やかて咲く春のいろ香をこと国にまつ手おらまし山吹の花
○下略
(『渋沢栄一伝記資料』第29巻p.225、「渋沢栄一 日記 明治三八年」より)
○上略
白石「突然でございますが、高橋是清さんの伝記を、東京朝日新聞に『是清翁一代記』の題の下に、連載致して居りますが、筆者の上塚司と云ふ人から、斯んな問合せが参りましたから、子爵[渋沢栄一]に一寸御伺ひするのでございます、『二月十七日(明治三十八年)高橋日本銀行副総裁の欧米旅行の首途を祝ひて』と云ふ題で、子爵が高橋さんにお贈りになつた和歌が、はつきりわからないから、御尋ねして呉れとの依頼でございましたから、竜門雑誌を調べましたら
咲いでん春のいろ香をこと国に
まづ手をりませやまぶきの花
と云ふ和歌がございますが、これでございませうか」
先生「それそれ、それです。何でも高橋さんがその時、公債募集のため洋行するから、金を借りて来いと云ふ事を詠み込んで、『先づ手をりませやまぶきの花』とやつたんだ。うまいだらう、よく出来てるぢやないか。大概の人なら、直ぐわかるぢやないか。あの時私がこの歌を贈ると、誰かが『渋沢さんは皮肉を云ふね』と言つて笑つてゐたヨ(哄笑)
咲きいでんか、咲きいでしか、どつちだ」
白石「竜門雑誌には『咲いでん』となつて居りますが」
先生「いや、それは『咲いでし』でよからう」
○下略
(『渋沢栄一伝記資料』第29巻p.225、「雨夜譚会談話筆記 第二十五回」より)
白石とは、栄一秘書役の白石喜太郎(しらいし・きたろう、1888-1945)のことで、『渋沢栄一伝記資料』別巻第4に掲載されている「宛名人名簿」には以下のように紹介されています(p.612)。
土佐に生る。明治四三年東京高等商業卒。第一銀行に入り、大正三年以後渋沢事務所に転出。明治二一年(一八八八) - 昭和二〇年(一九四五)
参考:高橋是清
〔近代日本人の肖像 - 国立国会図書館〕
http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/122.html
上塚司旧蔵文書(寄託)
主な内容 高橋是清関係資料(伝記編纂資料、是清著述原稿・演説速記類)他
〔憲政資料 - 国立国会図書館〕
http://www.ndl.go.jp/jp/data/kensei_shiryo/kensei/uetsukatsukasa.html