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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1889(明治22)年3月19日 (49歳) 高等商業学校第一回卒業式 【『渋沢栄一伝記資料』第26巻掲載】

是より先明治二十年十月、東京商業学校は高等商業学校と改称し、是日始めて第一回卒業式を挙行す。栄一之に臨み祝辞を述ぶ。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 2部 社会公共事業 / 4章 教育 / 1節 実業教育 / 3款 高等商業学校 【第26巻 p.577-581】
・『渋沢栄一伝記資料』第26巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/26.html

  第一回卒業式
 斯くて次第に内容も備つた[明治]二十二年三月十九日、創立以来第一回の卒業式が挙行せられ、こゝに従来の卒業生本科百十八名・銀行専修科五十五名に改めて卒業証書を授与した。[中略] 此の第一回卒業式には有栖川宮熾仁親王より令旨を賜はり、閣相・枢密顧問官・外国公使、其他朝野の名士参列して盛大を極め、幾度か危きに瀕した商業教育の法灯を守つて苦闘し来つた人々の努力は、茲に漸く報ひられたのである。[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第26巻p.577-578掲載、『一橋五十年史』(1925.09)p.19-21より)

1889(明治22)年3月19日、高等商業学校の卒業式が挙行されました。1875(明治8)年に商法講習所として設立後、1884(明治17)年に東京商業学校、1887(明治20)年10月に高等商業学校と改称を重ねた同校の、この日が高等商業学校としての第一回目の卒業式でした。
商法講習所時代から同校運営に関与してきた渋沢栄一は、卒業式に臨席し、祝辞を述べています。その祝辞の中で栄一は、卒業生に対し次のような趣旨の忠告を述べています。

今日の商業界は私を含めて、8〜9割が学術的背景を持たない経営者により成立している。諸君は学問を修めて実地に就こうとしているが、世の中のことは、必ずしも全て学問の通りにはゆかない。もし学問を応用してもその成果が見られない場合、自然と学問と旧習とは隔離して、君たちは学問の無い商人を蔑視するようになるでしょう。そうすると商人の側はなんと言うでしょう。「理屈は知っていても実際の用には立たない」と言う様になるでしょう。
こうなると政府や学校が教育に力を入れても、それは世の中にとって役に立たないと言われるようになり、学校の名誉も学問の功益もそのために世間から蔑まされるようになりかねない。
今は習慣的な物事と学問的な物事とが相戦うときです。海水と河水が相漂うような状況です。それゆえ、みなさんはあくまでも研精励磨して、実際について学問の要用を示し、『なるほど、学んだ人ならでは』と知らしめるようにしなくてはならない。どうかこのことをご記憶くださるようにお願いいたします。

さらに最後に、かつての商法講習所時代、初めて学生に会った際に言った言葉を再び諸君に告げたい、と前置きをし、目的を定めるにあたって、商業専一にしなければならない、文勲武功の有名な人が賞賛される時代だが、もし諸君がそちらに望みをおくとなると、山に登ろうとして船を作っているようなものである、商業に従事する諸君は、どうぞその目的を商業専一として欲しい、と述べています。
渋沢栄一伝記資料』第26巻p.578-580には『東京日々新聞』第5219号(1889.03.26)からの転載として、このときの栄一の演説の全文が紹介されています。
参考:一橋大学の歴史
国立大学法人 一橋大学
http://www.hit-u.ac.jp/guide/outline/history.html