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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1930(昭和5)年4月27日 (90歳) 渋沢栄一、竜門社第81回会員総会に出席 【『渋沢栄一伝記資料』第43巻掲載】

是日、当社第八十一回会員総会、飛鳥山邸に於て開かる。栄一出席して演説をなす。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 4章 道徳・宗教 / 5節 修養団体 / 1款 財団法人竜門社 【第43巻 p.289-294】
・『渋沢栄一伝記資料』第43巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/43.html

1930(昭和5)年4月27日、竜門社の第81回会員総会が飛鳥山邸で開催されました。毎年春と秋の年2回、ほぼ定期的に開催された竜門社会員総会は、当時は主にホテルや会館を会場としており、飛鳥山邸で開催されるのは1923(大正12)年以来、7年ぶりのことでした。
この日、竜門社理事長の阪谷芳郎(さかたに・よしろう、1863-1941)は挨拶の中で当時の世相と竜門社員に期待することについて、次のように述べています。

[前略] 日本の実業界も最近では疲労して、不景気の極にあります故に明治の時代に人々が努力し奮励した如き意気を以て、不景気を打開せねばならぬと思ひます。既に倫敦に於ける軍縮会議も成立し日本の声価も内外に高まり、日本が世界的に成長したことを知らしめるのでありますが、漸く世界的に経済界が疲れたと同時に、日本の実業界も疲労して参り、此処に深刻なる不景気を呈して居ります故に之を速かに脱せしめることは、現に日本の実業界をリードする地位にある竜門社員諸君の義務でありませう。実際日本には今日資本もあります、人物もあります、技術もあるのでありますから、それ位のことは大して困難でないと感ずるのであります。青渊先生が資本も人物も技術も無かつた明治五年頃、いろいろと御心配になつて、斯くの如く実業界を発達せしめられたことを思ひますと、我々は先生を前にして、誠にいくぢがないと恥ぢねばならぬと恐縮するのであります。[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第43巻p.290-291、『竜門雑誌』第500号(1930.05)p78-86より)

この日、渋沢栄一は出席していたものの病後のため演説の予定はありませんでした。しかし、阪谷理事長の挨拶と事務報告が終わった後、やおら立ち上がり下駄を靴に履き替え、壇上に上がって演説を行いました。竜門社総会での栄一の演説は1927(昭和2)年秋季総会以来2年半ぶり、そしてこれが最後となりました。

 私は一言御礼を兼ねて御挨拶を申したいと思ひます。今日は竜門社第八十一回の総会ださうでございますが、私はそれより十多い九十一回の年を迎へて居ります、而も一年に一度づゝであります。扨て別に申上げることはないのでありますが、感想を申して見ませう[。]此頃の世の中は、極く安穏と申せぬかと思ひます。韓退之の文章に「送孟東野序」と云ふのがあります、即ち「大凡物不得其平則鳴、草木之無声、風撓之鳴、水之無声、風蕩之鳴、其躍也或激之、其趨也或梗之、其沸也或炙之、金石之無声、或撃之鳴。-- 維天之於時也亦然、択其善鳴者而仮之鳴、是故以鳥鳴春、以雷鳴夏、以虫鳴秋、以風鳴冬、四時之相推奪、其必有不得其平者乎」と云ふ文章であります。これは韓文公が友人孟東野に対し物が平を得なければ鳴るものだと云つて天下の形勢を論じ、彼れの不幸を慰め之れを送別の辞とした文章の冒頭の一句であります、そしてこれは声が多くないから鳴らせよ、と云ふのでありますが、今日の世の中は平かでないと見えて甚だ騒がしいのでありますから、竜門社の人々は鳴らす仲間でなく、鎮めるやうにしなければならぬと思ひます。天下のことは思ふにまかせぬものでありますが、道理正しく進めることは竜門社員の世に処する務めでありまして、徒らに雷同するのは人の道でありません。[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第43巻p.291-292、『竜門雑誌』第500号(1930.05)p78-86より)

渋沢栄一伝記資料』第43巻p.291-294にはこの日の総会の様子と、栄一が他界するまでの竜門社会員総会の概要が、『竜門雑誌』からの転載として紹介されています。
参考:『竜門社の歩み : 青淵先生、想い続けて120年 : 企画展図録』(渋沢史料館, 2006.10)
渋沢栄一記念財団 渋沢史料館〕
http://www.shibusawa.or.jp/museum/store/siryokan13.html