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 1909(明治42)年8月14日 渋沢栄一、夫人令嬢を伴い日本橋倶楽部での送別会に出席

渋沢栄一 日記  明治四二年         (渋沢子爵家所蔵)
八月十四日 晴 暑
○上略 午後五時日本橋倶楽部ニ抵リ、各実業界ノ親友ヨリ催サレタル送別会ニ出席ス、種々ノ余興アリ、食卓上大倉氏ヨリ送別ノ辞アリ、依テ其答辞ヲ述ヘ、夜十時宴散シテ帰宿ス、此夜兼子・愛子等モ同伴ス
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.47掲載)


竜門雑誌 第二五五号・第四四―四七頁  明治四二年八月
    ○送別会彙報
 青渊先生が八月四日以後各処の送別会に臨まれたる概要は左の如し
[中略]
日本橋倶楽部の送別会  日本橋倶楽部員大倉喜八郎・古河虎之助・浅野総一郎・佐々木勇之助・大橋新太郎・柿沼谷蔵・梅浦精一其他の諸君発起と為り、青渊先生並に令夫人を主賓とし、十四日午後六時より日本橋倶楽部に於て送別会を開きたり、主人側代表者大倉喜八郎氏の別辞に対する青渊先生の謝辞なりとて中外商業の報ずる所左の如し
      青渊先生の謝辞
[中略] 日米の関係は即ち実業にあり、而して其実業の根本は、此一堂の裡に存すと云ふも敢て不可なし、然らば斯る一種の実力の集れる所よりして、一行の行を壮ならしめんと斯る催しを得、茲に諸君の後援に依り、予自身の魯鈍を能く磨練して、或は希望の万分一に達し得るかと、只管諸君に対し感謝する次第なり、[中略] 此集会に列する者は、敢て辞令を受けて事業を為すものなく、此送別会は又全く官たらずして民業者の集合なり、而して其行かんとするものゝ職責も勿論民業たり、[中略] 今や実業が即ち国家の基本たり、元素なりと云ひ得るに至れり、於是乎送る者も送らるゝものも、自ら慰め又自ら重んぜざるべからずと信ずると共に、今日発起の各位諸君の趣旨、亦此に存すと、重ねて厚く感謝する所也、斯くして予は前述の如くヽ政治の関係よりは国家に対し微力到底充分なる報告を為し得ざるも、諸君の経営せらるゝ実業に対しては、彼国に於て敢て充分とは行かざるも、同国の状態を視察すれば、必ずや吾人をして更に奮起一番せしむべきものあるべしと思考せらるゝを以て、特に茲に注意し、以て他日土産として諸君に開陳し得べしとず、一言以て謝辞と為す [後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.51-52掲載)

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