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 1909(明治42)年8月25日 航海7日目 - 『ハイカラぶり』で西洋の作法を勉強

渋沢栄一 日記  明治四二年         (渋沢子爵家所蔵)
八月二十五日 曇 冷
午前六時半起床、入浴シ、畢テ書類ヲ点検ス、八時半朝飧ヲ食シ、後甲板上ヲ散歩シ、又米国史ヲ読ム、午後一時午飧、食後一行喫煙室ニ会シテ行儀作法ニ関スル打合ヲ為ス、午後三時又米国史ヲ読ム、夕方ヨリ遊戯ニ閑ヲ消ス、七時日本料理ノ晩飧ヲ食ス [後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.56掲載)


竜門雑誌 第二六二号・第四一―四九頁  明治四三年三月
    ○青渊先生渡米紀行
         随行員 増田明六記
八月二十五日 水曜日 細雨蕭々
南風強く船体動揺烈しかりしも、青渊先生・同令夫人共に些も別条なし、先生には不相変午前中は読書室に在られたり
午食後喫煙室に於て、先生の注意に依り、加藤恒忠氏の「ハイカラ振り」の内、宴会作法特に婦人に対する動作、外人と握手の仕方、宴会に招かれたる時の心得方等に関する一節を、一人が朗読して一同謹聴す、是れは西洋婦人の手を取つて食堂に連れて往くとき、注意して裳裾を踏まぬやう、相手の婦人を見失はぬやう、婦人だと思ふて堅く手を握り占めぬやう、食堂にて滑つて転ばぬやう、座席を間違へてまごつかぬやう、結婚と云ふ言葉は使つても可いが、妊娠と云ふ一語は禁物だとか云ふ、種々の注意なり
堀越氏団員の集会せるを機とし、一言注意し度き事ありとて起つて、一、便処は紳士用と淑女用と区別せられ、明らかに入口に記され居るにも不拘、一行の紳士にして淑女の便処に入らるゝものありとて、西洋婦人より注意を受けたり、本日以後日本語にて入口に其区別を記し置きたれば注意を請ふ、二、大小の便器は夫々備付あれば、万止を得ざる場合の外は取り違ひ無き様注意を請ふ、三、大便実施後は確実に後方のハンドルを押し上げ、必ず之を流失する事、隣室の西洋人其臭気に堪へずとて苦情ありし事、四、西洋大便器は腰を掛けて用を弁ずる仕組なるに、上に上りて日本流に跼むものある為め、次きの人は之に腰を卸す事能はずとて苦情ありたれば注意を請ふ、五、浴場にて日本的に湯槽より湯を掬ひ出して外にて洗ひ、浴場外に流水したる人ありとて苦情を申込まれたり、爾後必ず槽内にて洗ふを請ふと、以上誠に御尤もの演説を試みられたり
甲板では前日来引続きたる競技が益々進行して、今日からはチヤンピオンの仕合となり、競技者も見物人も船の動揺するにも一向平気で居る、喫煙室の方では碁・将棋其他の競技が団員集会の終るを待兼て開始さるれば、又一方では本日正午より明日正午迄の航程浬数の賭が盛に行はれたり
第三回目の日本食会が開かれ、青渊先生・同令夫人も、之に加入せらる、今夜の献立は味噌汁、牛肉と玉葱の煮付、玉子焼に佃煮、之に持寄りの御馳走が海苔の佃煮・味付海苔・辣薑・福神漬・日本酒・日本茶等なり
正午航程三百三十五浬、位置北緯四十七度五十九分・東経百七十八度五十一分、風南
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.70-71掲載)


渡米実業団誌 同団残務整理委員編
  第七五―八六頁 明治四三年一〇月刊
  ○第一編 本記
     第二章 渡航日誌
八月二十五日(水)曇時々小雨
中食後、名取氏大阪新報所載、加藤恒忠氏の「ハイカラぶり」を朗読す。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.79掲載)

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