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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1909(明治42)年12月26日(日) (69歳) 渋沢栄一、東京市第9回講演会でアメリカ旅行談をなす 【『渋沢栄一伝記資料』第32巻掲載】

是日、東京高等商業学校講堂に於て東京市第九回講演会開催せられ、栄一之に臨みアメリカ旅行談をなす。爾後翌四十三年一月十七日日本橋倶楽部月次会、同月二十二日東京高等商業学校、歓迎会同月二十七日自治協会招待会、二月二十二日第四回議員銀行家連合懇親会、三月一日横浜商業学校、同日横浜経済会月次会、同月五日静岡旧城内陳列場、四月四日埼玉県八基村教育会、四月二十三日神戸高等商業学校、四月三十日財団法人埼玉学生誘掖会、五月三日深川鴎盟会に於てアメリカ旅行談をなす。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 1節 外遊 / 1款 渡米実業団 【第32巻 p.423-448】

渡米実業団の旅を終えて1909(明治42)年12月17日に帰国した渋沢栄一は、12月26日に東京高等商業学校講堂で開催された東京市第9回講演会の席上でアメリカ旅行談を語っています。
渋沢栄一伝記資料』第32巻には『竜門雑誌』からの転載として、栄一の演説内容が次のように紹介されています。

竜門雑誌  第二六〇号・第四九―五〇頁 明治四三年一月
    ○東京市講演会
東京市第九回講演会は二十六日 ○四二年一二月 午後一時半より高等商業学校講堂に開会せり、当日は歳末にも拘はらず、渡米実業団の一行なる青渊先生を初め、高辻奈良蔵・渡瀬寅次郎二氏の講演ありしことゝて、定刻より傍聴者詰めかけ、遉の講堂も殆ど満員の好景を呈し、近来の盛会なりき
      青渊先生の講話
今回予の米国旅行は、勿論一身の見学の為めにもあらざれば、又保養の為にも非ずして、昨年米国太平洋沿岸諸州の実業家諸君の一行が来遊せるを機とし、我々国民は熱誠なる歓迎をなせし結果、其返礼旁々両国の交情を温めんとの趣旨に基づき、彼等諸州の発議により、我が(六)商業会議所の団体を招待せるに因るものなれば、或る意味に於ては国民の一部を代表し、両国の交情を温むると共に、兼て我邦人の誠意をも伝へんとの大任を帯びたるものと云ふべく、我々一行は不肖ながら幾分か此国民の期待せし所に背かざりしを断言して憚らず、故に此の行に於て一行各員が其目的を果さん為めに取りし所、及び彼国人の情意のある所は、詳細之を我同胞に報告するの義務あるのみならず、其機会の多きを悦ぶなり、左れば如何に米国人が到る処に我等一行を温かき情意を以て歓迎せしかを述べんとて、九月一日シヤトルに上陸せし以来、九月十九日ミネアポリスに於て大統領タフト氏と会見せる顛末を初め、グランド・ラピツド、シカゴの歓迎、紐育、ボストン、フヰラデルフヰヤの優待より、ペリー提督墳墓の弔祭及び聖路易・桑港等に於ける歓待の模様を略述して、彼国民の意思の存する所を明かにし、進んで彼国に於ける各種産業の盛大なるに説き及ぼしては、トラストの組織は、科学の進歩に伴ふ分業の理論に背馳せるものにて、其弊は専売的傾向を帯ぶる結果、前大統領ル氏は之が撲滅策を取りしも、此通弊にして除き得べくんば、事業統一の上に一大利益あるを以て、対外競争の見地よりすれば大に講究を要すべき大問題なりと説き更に今日と雖も、彼国に於て所謂排日思想なるものゝ社会の一角に存在するは事実なれども、今日に於ては我国人の想像する程のものにあらずして、政府及び有識者は年を追うて膨脹しつゝある人口の排泄口を、将来は東洋方面に向つて求めざる可からざるを知り、之が為めには我々日本国民と手を取り、平和的に其政策を実行せざる可からざるを自覚し居れるものゝ如し、左れば将来は益々両国民の交情切なるに至らん、而して其他米国に於ける感化救恤の事業の盛大なることは到底我邦の及ばざる所なりと語り、最後に来春よりは必ず彼の実業団体の漫遊あるべきに顧みて、我帝都の客を遇する設備何れも不完全なるに思ひ及べば、冷汗背を湿すを覚ゆる所なるが、特別列車若しくはホテルの設備の不完全は已むを得ずとしても、責めては故障なく通行し得る道路だけにても、夫れ迄に通じ置かれたしと、市当局者に注意して降壇せり
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.425-426掲載)

栄一は翌年も以下のようにさまざまな団体の会合でアメリカでの体験を語っています。会の概要や栄一が演説で語った内容は、『渋沢栄一伝記資料』の以下の箇所で紹介されています。

  *開催日/主催者等 (『渋沢栄一伝記資料』掲載巻・ページ)