情報資源センター・ブログ

情報の扉の、そのまた向こう

公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 『資生堂社史 : 資生堂と銀座のあゆみ八十五年』 【資生堂, 1957】

会社名

株式会社資生堂

書誌事項

資生堂社史 : 資生堂と銀座のあゆみ八十五年
 東京 : 資生堂, 1957.11
 671p(図版20枚表共), 図版4枚 ; 27cm
 注記: 表紙のタイトル: 1872-1957 ; 英文社名: Shiseido Company, Limited (p630 定款) ; 印刷: 共同印刷 ; 折り込図10枚 ; 原色図版1枚のはり込あり ; 縦組み ; 標題紙に福原信三考案の商標「花椿」 ; 内容: 銀座句会 / 渋沢秀雄 (p500-501) ; 年表. 八十五年の推移: p[561]-597

外部機関の所蔵データほか

NDL-OPAC / Webcat / 神奈川県立川崎図書館 / Worldcat / Webcat Plus / Googleブックス 1,2

社史紹介

千葉出身で薬学を修めた福原有信(ふくはら・ありのぶ、1848-1924)は、海軍薬剤監を辞して1872年(明5)三田田町で薬局開業、火事のため銀座出雲町に移る。一方友人らと三精社を興し、西洋薬舗会社資生堂を設立、個人の薬舗にも資生堂を号した。出雲町の資生堂薬局二階に回陽医院を設けるも医薬分業を実践し、製薬事業に尽力。1887年(明20)日本初の煉歯磨、1897年(明30)化粧品の製造販売にも乗り出す。欧米に学んだ三男福原信三(ふくはら・しんぞう、1883-1948)が化粧品を充実させ、1921年(大10)合資会社資生堂となる。1927年(昭2)株式会社に改組し、戦禍を乗り越え業容拡大する。
85年史は銀座と共に歩んだ資生堂の変遷を、製品・広告・風俗など多くの写真図版や寄稿文を取り入れ多面的に描いている。

参考リンク

更新履歴

2013.05.22:参考リンクからリンク切れとなっていた「資生堂ものがたり」を削除、「社史紹介(速報版)」等を追加
*このエントリーは、実業史研究情報センターのサイトで公開している「社史紹介」に先駆けて「速報版」として公開するものです。