出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 1部 実業・経済 / 7章 経済団体及ビ民間諸会 / 1節 商業会議所 / 1款 東京商法会議所 【第17巻 p.791-802】
東京商法会議所は1878(明治11)年に発足、東京商工会に継承された経済団体です。渋沢栄一は商法会議所設立以来、1883(明治16)の解散に至るまで同会会頭を務めています。
1881(明治14)年12月10日、東京商法会議所の定式会議において、議員の所有船が遭難・漂流したことを例に挙げ、船主と船員の権利について討議がなされました。会議机上では難破船船員の給与支払いについて法律による定めが必要であること、海外の法例を調査した上で政府に法規制定の建議をすることなどが話し合われました。
翌1882(明治15)年1月10日、引き続き建議の内容が検討され、船舶の堅牢性を担保する船舶検査の実施、西洋型船舶の建造推奨などが追加議案として提議されましたが、最終的に建議内容は(1)遭難船員の給与支給と(2)貨物損害補償に関する法規制定の2件に絞られました。建議書は1882(明治15)年2月22日の日付で東京商法会議所会頭渋沢栄一より農商務卿西郷従道(さいごう・つぐみち、1843-1902)に宛てて提出されました。この時の建議内容は『東京商法会議所要件録』第42号(1882.06.03)からの転載として『渋沢栄一伝記資料』第17巻p.796-801に紹介されています。
しかしながら、この建議の趣旨が実現したのは17年後の1899(明治32)年のことでした。『渋沢栄一伝記資料』第17巻p.801-802には『竜門雑誌』第615号(1939.12)p.53-54からの転載として、建議実現までの経緯が次のように紹介されています。
東京商法会議所に就て (六) (山口和雄)
三 商法会議所の事業
(一) 経済政策に関する建議並に復申 (つゞき)
[前略] しかし、この建議は直ちには実現されなかつた。政府は明治十四年四月以降ヘルマン・ロエスレルをして海商法を含む包括的な商法の編纂に従事せしめてゐたが、当時は未だ完了せず、それがロエスレルによつて起草され、法律取調委員会に於て審議の上決定し、元老院に於て可決されたのは明治廿二年六月七日のことである。そしてそれは周知の如く翌廿三年四月廿七日法律第三十二号として公布されたのだがこの旧商法に於て右建議の趣旨は大体に於て法文化するに至つた(4)。しかし旧商法はその一部即ち会社法・手形法・破産法等が実施されたに止まり、他はその施行を明治卅二年六月現行商法の制定まで延期されたのであるから(5)、実際に於て此建議の趣旨が実現したのは明治卅二年のことであつたのである。
(註)
[中略]
(4) 法令全書 明治廿三年 下巻。
(5) 法律学辞典(岩波書店刊)商法の項。
(『渋沢栄一伝記資料』第17巻p.801-802)
参考:海事社会の沿革
〔 海難ものしり帖 - 海難審判所ホームページ〕
http://www.mlit.go.jp/jmat/monoshiri/enkaku/enkaku_meiji_taisyou.htm