会社名
東京電灯株式会社 [Tokyo Dento Kabushiki Kaisha]
書誌事項
東京電灯株式会社開業五十年史 / 東京電灯株式会社編
東京 : 東京電灯, 1936.08
15, 269, 20p, 図版 ; 27cm
Title in romaji: Tokyo Dento Kabushiki Kaisha kaigyo 50-nenshi
外部機関の所蔵データほか
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「関東大震災」(1923年9月1日)に関する本文の概要 (p138-161)
- 職員殉職者117名、罹災地内の配電線、二次変電所及び需要者工作物はほとんど倒壊、有楽町の本社と横浜支店建物は焼失。
- 震災の数年前から他社の合併買収を進めていたので、事業地域は広範に渡り、電源の大部分は水力で震災地域外であった。発電所や送電線等の主要設備はほとんど被害を免れ、損害額は資本金の1割弱の2064万余円だった。
- 震災後一時送電を停止したが公共機関優先に復旧を図り、3日目から淀橋浄水場、中野電信隊、精米所、各新聞社に送電。4日目には一般屋内灯に送電し市民の不安を解いた。
- 被害工作物の復旧も迅速に進み翌1924(大正13)年初頭には配電線路の8割は復旧。震災を機に蒸気等から電力への動力切り替えが進み、電力需要も急速に復旧した。
- 殉職職員の慰霊祭を9月30日に鶴見総持寺にて執行。
- 震災を機に直流配電を廃止し、昼夜無休送電を実施。従来定額供給が原則であった料金を1924(大正13)年4月から室内灯3灯以上の需要家は全て従量制とし、値下げも断行した結果、電力使用も収入も増加した。
- 震災後の電力需要増進に応じるため、千住火力発電所、猪苗代第3・第4発電所等の拡充を図った。また15万ボルトの送電を開始し、東京市の送電線を整備して大電力融通に備えた。
- 震災で中断していた関東地方電力界の統一をすすめ、1926(大正15)5月までに京浜電力、富士水電、帝国電灯等を買収合併した。
目次にあらわれた「関東大震災」関連事項
項目 | ページ |
---|---|
第三期 飛躍時代 (大正元年より同末期迄) | 113 |
六 関東大震災の被害と復興 | 138 |
七 営業上の革新 | 144 |
八 再度の光栄 | 145 |
九 震災後の需用増進と設備の充実 | 146 |
一〇 震災後の企業拡大 | 152 |
挿入写真及び図表 | |
震災前の浅草発電所全景 | 80 |
震災前の本社 | 82 |
震災前の供給設備及び区域図 | 136 |
震災に因る被害 | 138 |
京橋第一相互館上より見たる日本橋方面 | |
銀座尾張町附近と火災を起した警視庁 | |
猛火に包まれた有楽町本社と横浜の惨状 | |
震災に因る被害復興成れる京浜地帯 | 144 |
東京(永代橋及び江戸橋附近) | |
横浜(野毛山公園よりの展望) | |
千住発電所と猪苗代第四発電所 | 146 |
上越送電線と高瀬川送電線 | 148 |
内輪線と旭変電所 | 148 |
甲信系発電所水源地帯―上高地大正池 | 154 |
竜島発電所と甲信送電線 | 154 |
年表にあらわれた「関東大震災」関連事項
年月日 | 内容 |
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1923(大正12)年9月1日 | 関東大震災により京浜地方の当社電気工作物損失壊焼失の厄に遇ふ |
1923(大正12)年9月3日 | 東京市内一部点燈回復す |
1924(大正13)年1月17日 | 大同電力会社よりの購入電力一万二千キロワットを塩尻にて受電神奈川県鼠坂迄京浜電力会社送電線にて輸送し同所にて当社谷村線に移す―東西電力の融通成る |
1924(大正13)年4月1日 | 東京地方三燈以上電燈強制従量制を実施す |
「社史紹介」へのリンク
- 社史紹介「と」
〔渋沢栄一記念財団 実業史研究情報センター / 社史プロジェクト〕
http://www.shibusawa.or.jp/center/shashi/shasi_ta.html#05