渋沢栄一らは日米の通信状態改善を目指し1919年海底電線による日米電信(株)設立を計画しました。その後無線による通信へと変更し、栄一を設立委員長に1925年日本無線電信(株)が設立されました。
*枠色と「栄」アイコンについて
渋沢栄一が直接関わった会社 | |
上記の事業を継承あるいは名称が変遷した会社 | |
それ以外の会社 |
- 社名変遷図 : http://www.shibusawa.or.jp/eiichi/companyname/052.html
- 典拠資料 : http://www.shibusawa.or.jp/eiichi/companyname/052_auth.html
- 変遷図の見方 : http://www.shibusawa.or.jp/eiichi/companyname/howto.html
渋沢栄一の関わり
渋沢栄一関連会社名(社名使用年) | 栄一の関わり |
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電話会社 (1885〜1888) | 発起人総代 |
日米電信(株) (1919〜1923) | 創立委員 |
日本無線電信(株) (1923〜1938) | 創立委員会座長、発起人総会座長、設立委員長 |
関連エントリーほか
- [今日の栄一] 1919(大正8)年5月12日 (79歳) 日本無線電信株式会社 【『渋沢栄一伝記資料』第52巻掲載】
http://d.hatena.ne.jp/tobira/20080512/1210554773