情報資源センター・ブログ

情報の扉の、そのまた向こう

公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 『東京地下鉄道史. 乾・坤』 【東京地下鉄道, 1934】

会社名

東京地下鉄道株式会社 [Tokyo Chika Tetsudo Kabushiki Kaisha]

書誌事項

東京地下鉄道史. 乾・坤 / 東京地下鉄道株式会社編
 東京 : 東京地下鉄道, 1934.06
 2冊 ; 26cm
 注記: Title in romaji: Tokyo Chika Tetsudoshi

外部機関の所蔵データほか

NDL-OPAC 1,2 / Webcat / 神奈川県立川崎図書館 1,2 / Worldcat 1,2,3,4,5,6,7,8,9 / NDL Search / Webcat Plus 1,2,3 / Googleブックス 1,2

関東大震災と復興」に関連する本文の概要 (p263-334)

  • 1920年創立の東京地下鉄道は上野・新橋間の工事計画を立て外資調達等準備を進めていた。
  • 1923年9月の関東大震災で資金計画が頓挫し、会社は経費の2/3を節減し景気回復を待つこととした。
  • 9月26日東京市に対し「帝都復興と地下鉄道の建設」と題する建議を行った。
  • 12月の重役会で大川平三郎はまず多数の乗客を見込める上野・浅草間を起工し、後に路線を広げる提案をして賛成を得た。
  • 大倉組から工事費は竣工後まで手形払いでよいという請負契約の申し出があり1924年に覚書締結、いよいよ工事に着工する運びとなった。

目次にあらわれた「関東大震災と復興」関連事項

項目ページ
大震災前後263
   一、安倍技師海外派遣263
   二、後藤市長に市有交渉269
   三、外資交渉及工事施行認可281
   四、大震災と会社の籠城292
上野浅草間起工299
   一、会社の新陣容新方針299
   二、東京市公営地下鉄道の免許307
   三、大倉組との請負契約317
   四、上野浅草間起工式330

年表にあらわれた「関東大震災と復興」関連事項

年月日内容
1923(大正12)年9月ドーチー氏ウイルソン号にて帰米すべく早川常務見送出帆の間際関東大震災起る。
1923(大正12)年9月山本権兵衛伯第二次山本内閣を組織す。後藤新平伯内務大臣となる。
1923(大正12)年9月モラトリアム実施さる。
1923(大正12)年10月会社籠城の方針に決す。三分の二の経費を節減す。
1923(大正12)年11月新橋品川間、上野浅草間工事施行認可申請
1923(大正12)年12月臨時議会召集され、帝都復興計画予算議決さる。
1923(大正12)年12月5日重役会席上大川平三郎氏上野浅草間起工の提案あり。
1923(大正12)年12月重役会にて上野浅草起工につき協議あり至急工事着手のことに決す。
1923(大正12)年12月9日虎の門事件、山本内閣総辞職す。
1923(大正12)年12月第六回定時株主総会を帝国鉄道協会に開く。新計画を発表す。
1924(大正13)年1月清浦内閣成立す。小松謙次郎氏鉄道大臣となる。次官に岡野昇氏、監督局長に筧正太郎氏起用さる。
1924(大正13)年1月11日上野浅草間工事施行認可促進申請。
1924(大正13)年1月14日五反田、亀戸間及淀橋、上野間の地下鉄道敷設免許申請。
1924(大正13)年1月社長古市公威男柩密顧問官に任ぜられ社長を辞す。
1924(大正13)年1月16日大倉土木と工事請負覚書締結。
1924(大正13)年1月21日大株主会を生命保険協会にて開催す。新計画につき諒解を求む。
1924(大正13)年3月独逸シーメンス・バウユニオンの技師長ルードルフ・ブリスケを技術顧問に招聘す。
1924(大正13)年5月31日上野浅草間工事施行認可せらる。
1924(大正13)年8月東京鉄道、小田原急行鉄道、(東京高速鉄道)武蔵電気鉄道の三社免許地下鉄道は全部失効となる。
1924(大正13)年9月4日東京地下鉄道会社、渋谷大塚間目黒浅草間、池袋洲崎間の三線を申請し、五反田亀戸間及淀橋上野間は取下ぐ。
1924(大正13)年10月11日上野浅草間実施設計認可を内務省に申請す。
1925(大正14)年3月31日上野浅草間実施設計認可さる。
1925(大正14)年8月13日大倉土木と工事請負契約成立。
1925(大正14)年9月27日上野浅草間起工式。

「社史紹介」へのリンク