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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 【神奈川】 箱根に牧場を拓く - 耕牧舎 【『渋沢栄一伝記資料』第15巻掲載】

1880(明治13)年2月 (40歳)
是より先明治十二年、栄一、益田孝等と謀り、箱根仙石原に耕牧舎を興す。須永伝蔵此が管理に当り是月開拓に着手す。爾来栄一育成に努む。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 1部 実業・経済 / 5章 農・牧・林・水産業 / 1節 農・牧・林業 / 3款 耕牧舎 【第15巻 p.489-498】

 1879(明治12)年、渋沢栄一は益田孝らと耕牧舎を設立、その翌年2月に箱根の仙石原で牧場開拓が始まりました。運営を任されたのは栄一の従弟、須永伝蔵(すなが・でんぞう、1842-1904)です。須永は栄一の命を受けて仙石原に移住、耕牧舎の管理・運営にあたりました。
 当初の目的は牧羊でしたが、羊の育成には不向きな土地であったため、牛馬育成へと軌道を修正、牛乳・バター販売がその営業の中心となりました。耕牧舎の牛乳は箱根だけでなく東京にも販路を広げ、番付表「東京牛乳名家一覧」に「大関」として耕牧舎の名が記されたこともありました(稲村特寿著『波瀾に満ちた須永伝蔵の生涯』(箱根史談研究会, 1977)p.71)。
 それでも仙石原での牧場経営は必ずしも順調ではなく、1904(明治37)年に須永が他界したことを機に、耕牧舎は牧畜中止を決定します。後に栄一は益田らと仙石原地所株式会社を設立、仙石原での土地利用は牧場から別荘地開発へと方向を転換しました。
 仙石原では、厳しい自然条件の中、耕牧舎で酪農経営を支えた須永伝蔵の顕彰碑を、今でも見ることができます。

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