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 【岡山】 財団法人興譲館 - 阪谷朗廬の教えを継承する私立学校 【『渋沢栄一伝記資料』第46巻掲載】

1926(大正15)年3月 (86歳)
是より先明治三十八年、当館は社団法人となる。是月、組織を改めて財団法人となし、寄付行為の定むる所により、栄一を相談役に推す。栄一、之を諾し、在任歿年に及ぶ。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 5章 教育 / 3節 其他ノ教育関係 / 21款 財団法人興譲館 付阪門会 【第46巻 p.90-97】

 興譲館は1853(嘉永7)年、備中寺戸村に開かれた郷校です。渋沢栄一は一橋家仕官時代に備中を訪れ、奇しくも後に女婿となった阪谷芳郎の父、阪谷素(朗廬:ろうろ、1822-1881。儒学者、漢学者)を訪ねて時勢談などを交わしました。栄一はその時の印象から、碩学と評判の興譲館初代館長、阪谷素について「攘夷派ばかりの漢学者の中で、断固として開港主義を貫き、反対攻撃を受けても自説を変えなかった、真に先見の明ある人」と賞讃しています。
 阪谷朗廬は1868(明治元)年に興譲館長職を退きました。興譲館の組織は私立学校から社団法人となり、さらに1926(大正15)年には財団法人となりました。財団設立当時、その運営規則「寄付行為」に記された館の目的は「永久私立学校として学問の自由を尊重、社会各般の真理を研鑽し、知徳体兼備の人材を養成、人類の安寧幸福を増進する」というものでした。
 朗廬が館長を務めた当初の校門は県の史蹟にも指定され、今日も学校法人興譲館に継承・保存されています。

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