1912(明治45)年4月16日 (72歳)
是日栄一、関西銀行大会へ出席の為め下阪の機会に、大阪市公会堂建築事務所に立寄る。
出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 7章 行政 / 1節 自治行政 / 6款 大阪市公会堂 【第48巻 p.351】
大阪の株式仲買人岩本栄之助(いわもと・えいのすけ、1877-1916)は亡父の遺訓「利益は社会へ還元」に従い、1911(明治44)年3月に「子孫で死蔵・散逸させるより社会のため」と大阪市に100万円を寄付、それによって大阪市中央公会堂(通称・中之島公会堂)が建てられました。
渡米実業団に参加して米国の実業家による公共事業を見聞した岩本は、寄付に先立ち渋沢栄一に相談、栄一は岩本の計画を「立派なもの」として事業化を斡旋しました。栄一は公会堂建設のため財団設立を進言、依頼を受けてその顧問にも就任しています。
岩本は後に事業の失敗で1918(大正7)年の竣工を待つことなく自害、関係者は往時を回想して岩本を悼みながらも「財団が設立されなかったら事業は安定せず、蹉跌を見たかもしれない」と語ってます。
2002(平成14)年、保存再生工事を経て国の重要文化財指定を受けた公会堂は、今日も文化活動の場として、また実業家の篤志を語り継ぐ場として大阪市民により守られ、活用されています。
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参考リンク
- 【今月の栄一】 岩本栄之助の公共事業への思いを支援 - 大阪市公会堂 : ゆかりの場所・大阪(中之島)
〔『青淵』第733号(2010.04)p.31掲載〕 - [今日の栄一] 1911(明治44)年3月7日 (71歳) 大阪市公会堂建設寄付
〔実業史研究情報センター・ブログ「情報の扉の、そのまた向こう」 - 2008年3月7日〕
http://d.hatena.ne.jp/tobira/20080307/1204105973 - 公会堂の歴史
〔大阪市中央公会堂〕
http://osaka-chuokokaido.jp/history/index.html - 岩本栄之助 - 渡米実業団 / 団員一覧
〔渋沢栄一記念財団 渋沢栄一〕
http://www.shibusawa.or.jp/eiichi/1909/member.html#osk04