〔 シェンリー公園の今 / シェンリー公園の歴史 / メアリー・シェンリーの社会事業への寄付 〕
シェンリー公園の今
シェンリー公園(Schenley Park)は、渡米実業団一行が投宿したシェンリー・ホテルに隣接した広大な公園です。ここは1909年11月5日に一行の婦人の部が訪れたそうですが、ホテルの隣ですので渋沢栄一も景色を眺めたことと思われます。とてもよく整備され人々の憩いの場所となっている様子でした。
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シェンリー公園の歴史
ピッツバーグの少女メアリー・クローアン(Mary Elizabeth Croghan,1826〜1903)は、1842年15歳の時に43歳の英国人船長エドワード・シェンリー(Edward Schenley)と駆け落ちし、ロンドンに移りました。その後彼女は父親と和解し、1850年父の死によりピッツバーグにある莫大な遺産の相続を受けました。
ピッツバーグ市の公共事業を担当していたエドワード・ビゲロー(Edward Manning Bigelow, 1850-1916)は、壮大な公園システムを計画し、1889年にロンドンに居るメアリーから土地300エーカー(約1.2平方キロメートル)を購入しました。ビゲローはそれまで不毛な地であった土地に大規模な植林を行い、ロンドンのキュー王立植物園で訓練されたウィリアム・ファルコナー(William Falconer)を雇って、公園とフィップス温室の景観を最高水準を目指して整えました。ファルコナーの任期は1896-1903年でした。ビゲローはまた夜間照明や屋内アイススケートリンク、そしてメアリー・シェンリー記念噴水も作りました。1909年には公園は今日の形になりました。その後もいくつかの変更が加えられましたが、現在は1996年に設立されたピッツバーグ公園管理委員会(The Pittsburgh Parks Conservancy)によって整備され運営されています。
記念噴水 |
メアリー・シェンリーの社会事業への寄付
シェンリー・ホテルとシェンリー公園の名前の元となったメアリー・シェンリーは、膨大な財産を次のような社会事業に寄付していました。
参考リンク
- [ピッツバーグ] 1909(明治42)年11月5日(金) ピッツバーグ到着。カーネギー鉄鋼所、ウェスティングハウス電機製造会社などを見学。晩餐会の後、カーネギーインスティチュートで開催された音楽会に出席 【滞米第66日】
〔「渡米実業団」日録 - 1909年11月5日〕
http://d.hatena.ne.jp/tobeijitsugyodan/19091105/1257383466 - 都市詳細 ピッツバーグ - 渡米実業団
〔渋沢栄一記念財団 渋沢栄一 / 渋沢栄一〕
http://www.shibusawa.or.jp/eiichi/1909/city/c41_pittsburg.html - 同 [1909年11月] 五日 (金) 曇寒 - 新洋行土産. 上巻 / 巌谷小波
〔近代デジタルライブラリー | 国立国会図書館〕
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/761221/103 - History
〔Schenley Park〕
http://www.pittsburghparks.org/history-3 - Mary Schenley and the Making of Our Park System
〔Pittsburgh Parks Conservancy Blog〕
http://pittsburghparks.wordpress.com/2012/01/23/mary-schenley-and-the-making-of-our-park-system/ - [栄一ゆかりの地][渡米実業団] 渡米実業団が訪問したピッツバーグの今昔 (1) はじめに
〔実業史研究情報センター・ブログ「情報の扉の、そのまた向こう」 - 2012年5月9日〕
http://d.hatena.ne.jp/tobira/20120509/1336539453