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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 シェンリー公園 - 渡米実業団が訪問したピッツバーグの今昔 (7)

シェンリー公園の今 / シェンリー公園の歴史 / メアリー・シェンリーの社会事業への寄付

シェンリー公園の今

 シェンリー公園(Schenley Park)は、渡米実業団一行が投宿したシェンリー・ホテルに隣接した広大な公園です。ここは1909年11月5日に一行の婦人の部が訪れたそうですが、ホテルの隣ですので渋沢栄一も景色を眺めたことと思われます。とてもよく整備され人々の憩いの場所となっている様子でした。

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シェンリー・パーク 公園から見たホテル
公園から見たホテル
シェンリー・パーク ベンチ
ベンチ
シェンリー・パーク 動物の像
動物の像
 広い芝生ときれいに整備されたベンチです。いくつもあるベンチでは学生たちがPCを広げてなにやら打ち込んだりしていました。ベンチの向こうに見えるのはカーネギー図書館本館です。動物の像の向こうにピッツバーグ大学の「学びの聖堂 (Cathedral of Learning)」が見えます。渡米実業団が訪問した1909年には、この聖堂はまだ建てられていませんでした。
シェンリー・パーク 花壇
花壇
シェンリー・パーク 大きなテント
大きなテント
 花壇の奥に見える大きなテントの中は売店などが入っていて、利用する人たちの姿が見えました。この場所はシェンリー・プラザと呼ばれる一角で、公園全体はそのはるか先の見渡せないところまで広がっていました。

シェンリー公園の歴史

 ピッツバーグの少女メアリー・クローアン(Mary Elizabeth Croghan,1826〜1903)は、1842年15歳の時に43歳の英国人船長エドワード・シェンリー(Edward Schenley)と駆け落ちし、ロンドンに移りました。その後彼女は父親と和解し、1850年父の死によりピッツバーグにある莫大な遺産の相続を受けました。
 ピッツバーグ市の公共事業を担当していたエドワード・ビゲロー(Edward Manning Bigelow, 1850-1916)は、壮大な公園システムを計画し、1889年にロンドンに居るメアリーから土地300エーカー(約1.2平方キロメートル)を購入しました。ビゲローはそれまで不毛な地であった土地に大規模な植林を行い、ロンドンのキュー王立植物園で訓練されたウィリアム・ファルコナー(William Falconer)を雇って、公園とフィップス温室の景観を最高水準を目指して整えました。ファルコナーの任期は1896-1903年でした。ビゲローはまた夜間照明や屋内アイススケートリンク、そしてメアリー・シェンリー記念噴水も作りました。1909年には公園は今日の形になりました。その後もいくつかの変更が加えられましたが、現在は1996年に設立されたピッツバーグ公園管理委員会(The Pittsburgh Parks Conservancy)によって整備され運営されています。

シェンリー・パーク メアリー・シェンリー記念噴水
メアリー・シェンリー
記念噴水

メアリー・シェンリーの社会事業への寄付

 シェンリー・ホテルとシェンリー公園の名前の元となったメアリー・シェンリーは、膨大な財産を次のような社会事業に寄付していました。

  • 西ペンシルベニア病院建築のための土地
  • 視覚障害者のための西ペンシルベニア研究所の土地
  • 新聞販売少年の宿舎への莫大な寄付
  • 河に面した公園の土地購入のための寄付
  • 1764年に建造されたピット砦の要塞(The Fort Pitt Blockhouse)を保存のため愛国的婦人団体DAR(The Daughters of the American Revolution)に寄贈

参考リンク