書誌事項
雨夜物語 : 青淵先生世路日記 / 渋沢青淵[著] ; 玉利伝十編
東京 : 択善社, 1913.08
17, 6, 154, 7p, 肖像写真1枚 ; 19cm
注記: 本文中の編者紹堂漁郎は玉利伝十の別名と考えられる
解題
渋沢栄一の談話63編を玉利伝十が編集して出版したもの。前半は幼時から変転の末明治政府を退官するまで、後半は民間人として関わった数々の事業についての談話。実業家7人が序文跋文を寄せ、巻頭に栄一が過去に関わった134の会社団体名と、本書出版時(1913)に関係していた15の事業名役職名を記載している。栄一は閲読したが文責は編者にあると、本文冒頭に記載あり。なお、本書は栄一の談話を記録した「雨夜譚」と似たタイトルであるが、前半の内容は「雨夜譚」と重なる部分があるものの口調が異なり、明らかに「雨夜譚」とは別の談話である。
本文冒頭の編者のことば
青淵先生世路日記 雨夜物語 紹堂漁郎編
本書刊行の目的は読者をして真に渋沢男爵の講話を聞き、且立志奮闘の昔話に就て読む人に感動の著しからんことを期待せし編者の意志に他ならず。男爵は六月四日王子飛鳥山の邸に於て編者と会見し持参の原稿を閲読して曰く、渋沢が話せしことなれども、誇大的に物語せしかの如く読者をして誤まらしめざらんことに心掛くべし。然らざれば却て害あらんと。編者は即ち男爵の意志を忖度し本書刊行に就ての責任を明らかにし、而して本書の刊行により全国多数の青年読者をして真に独立自尊の気風を振興し智徳を涵養するを得ば実に幸甚也。(編者識)
『雨夜譚』と『雨夜物語』の相違の例
- 『雨夜譚』(岩波文庫、p25)
全体、この血洗島村の領主は、安部摂津守という小サな諸侯で、村方から一里ばかりも隔った、岡部という村にその陣屋があったが、この領主から御用達ということを命ぜられて居ました。もとより小大名のことだから、大した金を借りる事はないが、ただ一時、御姫様が御嫁入だとか、若殿様が御乗り出しだとか、または先祖の御法会だとかいう事があると [後略]
- 『雨夜物語』(p8-9)
安部摂津守の陣屋は、私の里より一里を隔った岡部村にあった。小大名ではあるが百姓町人に対する権威は非常なもので、必要に応じて領内の資産家に御用金を申附けるのが例となって居った。先祖の法会、若殿様の乗出しの時は勿論、姫様の嫁入りに際しての用金までも命ずるのであった。
本文を読む
- 雨夜物語 : 青淵先生世路日記
〔国立国会図書館デジタル化資料〕
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951747
目次
雨夜物語 : 青淵先生世路日記 / 玉利伝十 | 岩波文庫『雨夜譚』の該当箇所の見出し | |
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項目 | ページ | |
男爵渋沢青淵先生 [写真] | 巻頭 | -- |
序 / 郷誠之助 | 巻頭p1 | -- |
序 / 森村市左衛門 | 巻頭p6 | -- |
書簡 / 武藤山治 | 巻頭p8 | -- |
序 / 編者 | 巻頭p10 | -- |
過去に於ける青淵先生の関係銀行諸会社 | 巻頭p13 | -- |
現在 | 巻頭p17 | -- |
目次 | 巻頭p1-6 | -- |
[序] / 紹堂漁郎編 | 1 | -- |
私が世に出でし動機と抱負 | 2 | 余が少年時代 |
太閤秀吉の伝記を読みて子供心に血は湧いた | 4 | 幼時の読書 |
春着の衣裳を汚して母にお目玉頂戴 | 6 | |
幕府の悪政と人民の血涙 | 8 | 代官の痛罵に奮起す |
千葉の門弟となつて同志の糾合を企つ | 10 | 江戸に遊学す |
高崎城の夜襲問題 | 12 | 暴挙の企図 |
浪人となつて京都の形勢を探らんとす | 15 | 京都行 |
同志捕縛されて入獄す | 17 | 同志の就縛 |
一橋公へ奉公して獄中の同志を救はんとす | 20 | 一橋家出仕の勧告と仕官論 |
金四両一分が給金の貰ひ始め | 22 | 奉公の始め |
有志召抱への命を奉じて関東に下る | 24 | 人選御用として関東へ下る |
筑波山に立籠つた藤田等徒党の出京 | 26 | 水戸浪士一件 |
愈々天下多事ならんとす | 27 | 緑酒紅灯の裡に居て心を鉄石にす |
歩兵隊の編成と農民募集 | 29 | 兵備に関する建言 |
洋式の訓練は好結果であつた | 31 | 本望見事に成功 |
私の建議せし経済上の三ヶ箇条 | 33 | 殖産興業の発案 |
大阪の旅宿で大法螺を吹いて威張る | 36 | 再転して幕府の臣となる |
民部公子に随つて洋行す | 37 | 仏国行の御内意とその準備 |
公子へ対して帰朝の公文が達した | 40 | 留学の沙汰やみ |
帰朝後の情けなき境遇は恰も昔話の主人公 | 41 | 帰朝 |
大久保一翁との押問答 | 43 | 静岡行と帰朝の復命 |
私は勘定組頭は嫌ひであつた | 45 | 勘定組頭の任命に対する余が憤怒 |
大蔵省租税正に推挙せらる | 46 | 大蔵省租税司正拝命 |
大蔵省の権威は全省を圧し却て嫌忌された | 48 | 建議して改正局を新設す |
廃藩置県の布告と藩札の引換法 | 51 | 廃藩置県と大蔵省の事務繁激 |
枢密権大史から大蔵大亟となつた | 53 | 初めて実業家たる志望を起す |
父病死して断膓の衰みは其極に達した | 56 | 父の永眠 |
国立銀行の創設 | 57 | 国立銀行条例の実施 |
財務改良の議合はず井上と共に野に下る | 59 | 司法文部の定額論と井上大輔の苦衷 |
骸骨を乞ふて一編の意見書を呈出す | 61 | 建白書の奉呈 |
意見書 | 61 | 「財政改革に関する奏議」 |
意見書に対して江藤と大隈の不平 | 75 | -- |
何故に官途を去つて商人となつたか | 76 | -- |
合本事業の創設を企つ | 78 | -- |
第一銀行の前身第一国立銀行 | 80 | -- |
小野組の破産問題 | 82 | -- |
紙幣制度の改正 | 84 | -- |
官尊民卑の悪風潮を打破して商人の意気を振興す | 85 | -- |
高商の前身商法講習所の設立 | 87 | -- |
同志と議して商業会議所を設立す | 90 | -- |
東京瓦斯会社の沿革 | 92 | -- |
東京瓦斯会社の現状 | 96 | -- |
東京市養育院の濫觴 | 98 | -- |
自由も愉快も依頼心もない孤独の生活 | 101 | -- |
東京府会の無情と養育院の独立 | 104 | -- |
養育院の所有財産約壱百万円 | 107 | -- |
私の苦心経営せし各会社 | 109 | -- |
大日本人造肥料会社の前身東京人造肥料会社 | 111 | -- |
感謝状 | 113 | -- |
答謝状 | 115 | -- |
現時の大日本人造肥料会社と其成績 | 117 | -- |
日本煉瓦会社 | 121 | -- |
会社の資金窮迫を告げて惨たり | 123 | -- |
天道果して是歟非歟 | 125 | -- |
一割の配当と所有財産壱百万円 | 127 | -- |
浅野セメント会社 | 128 | -- |
東京銀行集会所 | 130 | -- |
其他直接の関係事業 渋沢倉庫株式会社 | 134 | -- |
其他直接の関係事業 東京興信所の沿革組織と業務成績 | 136 | -- |
其他直接の関係事業 札幌麦酒株式会社溯源及大日本麦酒会社 | 139 | -- |
其他直接の関係事業 中央慈善協会 | 148 | -- |
商業の進歩を計つた私の大主眼 | 150 | -- |
天下幾百万の青年諸君よ専擅を捨てて社会的に尽瘁せよ | 152 | -- |
[跋] / 神田鐳蔵 | 巻末 | -- |
跋 / 福原有信 | 巻末1 | -- |
跋 / 平田初熊 | 巻末3 | -- |
跋 / 村井貞之助 | 巻末5 | -- |
外部機関の所蔵データほか
NDL-OPAC / CiNii Books / Worldcat / NDL Search / Webcat Plus / Googleブックス 1,2
参考リンク
- 第16款 栄一ノ演説・談話ヲ編集刊行セルモノ 4.青淵先生世路日記雨夜物語
〔『渋沢栄一伝記資料』第48巻 目次詳細(綱文)〕
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/48.html#DK480038k - [栄一関連文献][文献解題] 渋沢栄一『雨夜譚』 【岩波書店,1984】
〔実業史研究情報センター・ブログ「情報の扉の、そのまた向こう」 - 2013年9月3日〕
http://d.hatena.ne.jp/tobira/20130903/1378194790