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 熊川千代喜『阿部房次郎伝』 【阿部房次郎伝編纂事務所,1940】

書誌事項

阿部房次郎伝 / 熊川千代喜編著
 大阪 : 阿部房次郎伝編纂事務所, 1940.04
 543, 11p, 図版24枚, 折込図1枚 ; 23cm
 注記: 題箋: 庄司乙吉 ; 表紙クロスは東洋紡績製品 ; 表紙に阿部家家紋の型押し ; 見返しは山岡千太郎による阿部房次郎縁の地の風景画 ; 非売品

解題

 阿部房次郎(あべ・ふさじろう、1868-1937)は彦根藩士の辻家に生まれ、近江商人山中家へ丁稚奉公の後1886年(明治19)上京して慶應義塾に学ぶ。6年後に帰郷し1894年(明治27)山中家の関わる近江銀行の設立に加わり行員となる。1895年(明治28)近江商人阿部家の婿養子となり、製油会社業務などを経て同家経営の金巾製織(株)に勤務。同社は1906年(明治39)大阪紡績(株)に合併し、阿部は専務取締役となる。1914年(大正3)三重紡績と合併し東洋紡績(株)が誕生、阿部は専務となり後に副社長から社長を1935年(昭和10)まで務め、更に没するまで会長として東洋紡の発展に注力した。日本紡績聯合会委員長、大阪商工会議所顧問等を歴任の他、朝鮮干拓、江商(株)の経営、製紙業にも関わり、貴族院議員として国政にも寄与。更に実業教育推進のため郡立神崎実業学校や彦根高等商業学校にも関わる。近江銀行が昭和初期に破綻した際は私財をなげうってその整理に奔走。阿部は金巾製織時代から訪中しその書画に触れ、多くの古書古画を入手、画帖『爽籟館欣賞第一輯』を出版(1930)。また収集した中国の封泥591個を帝室博物館に寄贈している。正六位
 本書は阿部没後間もなく東洋紡績社長庄司乙吉らにより準備された伝記。1938年(昭和13)の阪神大水害で阿部家資料の多くが流失したが、関係者の尽力で編纂が進められた。紙統制の時節であったが、阿部が関わった王子製紙の好意を得て四周忌を前に刊行された。表紙クロスは東洋紡績製品。内容は生涯を15章に区切って記述し、東洋紡績時代は更に5節に分けて詳述。最後の「笙洲余韻」は笙洲と号した阿部の横顔を、各界の人々に取材してまとめたもの。附録として長男阿部孝次郎の一文と、阿部の「欧米視察談」を掲載。巻末に年譜を付す。なお巻頭に掲げられた渋沢栄一書簡は1926年(大正15)8月21日付で、同年6月東洋紡社長に就任した阿部宛に期待を込めて書かれたもの(『渋沢栄一伝記資料』別巻3、p52-53に翻刻掲載)。
[附録の「欧米視察談」は、阿部房次郎著、奥田士良編著『阿部副社長欧米視察談』(東洋紡績、1923)を再録したもの。1922年(大正11)4月から12月にかけて行った250日余の欧米視察についての阿部の談話と書簡を収載]
[金巾(かなきん)は薄地の平織木綿。インドのカリカット港から積み出されたことからなまってキャラコともいわれる。金巾製織(株)は金巾の製造を目的に設立された会社。]

書影

阿部房次郎伝

目次

項目ページ
[口絵]巻頭
[阿部房次郎宛渋沢栄一書簡]巻頭
序 / 庄司乙吉巻頭
はしがき / 編者巻頭
凡例巻頭
目次巻頭
阿部房次郎伝
  1. 彦根に生る1
  2. 藩風家風9
  3. 山中家24
  4. 阿部家に入る35
  5. 金巾紡織時代42
  6. 大阪紡績時代55
  7. 東洋紡績73
1 専務取締役時代73
2 副社長時代77
  欧米視察/関東大震災77
3 社長時代 (上)102
  早稲田大学に於ける講演「日本紡績業発達の経路」124
4 社長時代 (中)166
4[5] 社長時代 (下)195
  8. 朝鮮干拓、江商、樺太工業及王子製紙202
東津農業株式会社 : 利害を超越した国家的事業202
江商株式会社215
樺太工業及王子製紙229
  9. 政治家として237
  10. 教育家として249
  11. 近江銀行の破綻279
  12. 公人公務323
  13. 東洋美術の愛護349
  14. 子の父として376
  15. 病気、逝去、社葬、遺族394
  笙洲余韻429
附録
  父の思出 / 阿部孝次郎457
  欧米視察談 : 故翁講演467
前編467
中編507
後編 : 旅行先よりの通信摘録519
  年譜1

外部機関の所蔵データほか

NDL-OPAC / CiNii Books / Worldcat 1,2 / NDL Search / Webcat Plus / Googleブックス 1,2

参考リンク