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 穂積歌子『はゝその落葉』 【竜門社,1900】【穂積歌子, 1930】

書誌事項

はゝその落葉 / 穂積歌子著
 東京 : 竜門社, 1900.02
 63丁 ; 22cm
 注記: 『青淵先生六十年史』の附録として書かれた文語体の追悼文 ; 印刷: 東京印刷 ; 非売品 ; 和装

はゝその落葉 / 穂積歌子著
 東京 : 穂積歌子, 1930.10
 8, 146p ; 23cm
 注記: 1900年竜門社刊の『はゝその落葉』を口語体に直したもの ; 印刷: 東京印刷 ; 非売品 ; 和装

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書影

はゝその落葉

*左は1900年版、右は1930年版

目次

項目ページ
1900年版1930年版
[千代肖像] 明治六年頃撮影巻頭
[序] / 穂積歌子1
はしがき1丁4
巻の一3丁1
巻の二26丁54

解題

 渋沢栄一の長女穂積歌子(ほづみ・うたこ、1863-1932)が、母の渋沢千代(しぶさわ・ちよ、戒名:宝光院、1841-1882)に寄せて書いた追悼文。刊行経緯を記した「はしがき」に続いて巻の1と2が収められ、巻の1は千代の生立ちから結婚、栄一の動向、子供たちの誕生と成長、千代のコレラ罹患による逝去、そして17回忌法要までが簡潔に記されている。巻の2は歌子の目から見た千代の生き様や人柄を様々なエピソードで綴ったもの。兄の尾高惇忠、従兄の成一郎(喜作)ら渋沢家の人々、三野村利左衛門、古河市兵衛、静寛院宮(和宮)ら栄一に縁のある人々の逸話にも触れる。幕末から明治にかけて駆け抜けた栄一の人生に寄り添って生きた千代の人となりが、身の回りの出来事を通じて活き活きと描かれている。
 この追悼文は1898年(明治31)の千代17回忌の後に『青淵先生六十年史』が編纂された際、その第60章第5節「宝光院伝」附録として文語体で書かれたもの。この60年史収録部分と同内容のものを独立させて刊行したのが本書。タイトルは「はしがき」に掲載の歌子の和歌「繁かりし蔭をしそ思ふ秋すきて はゝその落葉かくにつけても」から採られている。「ははそ(柞)」は落葉樹コナラやクヌギなどの総称で、和歌では「母」の意にかけて用いられる言葉。
 1930年(昭和5)の千代の法要に際し、歌子は1900年刊の本書を口語体に書き改め、千代の肖像を口絵に添えて新たに刊行した。序文に刊行経緯が記され、「はしがき」は文語体のまま再録されている。

外部機関の所蔵データほか

1900年版 : NDL-OPAC / NDL Search / Googleブックス 1,2
1930年版 : NDL-OPAC / CiNii Books / NDL Search / Webcat Plus / Googleブックス 1,2

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