情報資源センター・ブログ

情報の扉の、そのまた向こう

公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 「渋沢栄一略年譜」(『青淵』第392号収載) 【渋沢青淵記念財団竜門社,1981】

書誌事項

青淵. 第392号
 東京 : 渋沢青淵記念財団竜門社, 1981.11
 64p, 図版1枚 ; 21cm (青淵翁没後五十周年記念特集)
 内容: 渋沢栄一略年譜 ; 略年譜にそえて(p56-58)

解題

 渋沢青淵記念財団竜門社の機関誌『青淵』第392号「青淵翁没後五十周年記念特集」収載の、渋沢栄一略年譜。1840年天保11)2月13日武蔵国(埼玉県)に生れてから、1931年(昭和6)11月11日に没するまでの栄一の事績など113項目について、数え年を付して簡略にまとめている。年譜の後の「略年譜にそえて」では、それまでに作成された種々の栄一年譜の特徴をまとめている。

渋沢栄一略年譜、「略年譜にそえて」

年号西暦事跡数え年
天保11年18402月13日、武蔵国(埼玉県)血洗島に誕生。1
文久3年18639月高崎城乗取り、横浜焼打計画。24
11月計画中止、京都行。
元治元年18642月一橋藩出仕。25
慶応元年18652月歩兵取立御用掛を命ぜられる。26
3年18671月徳川民部大輔随員として仏国行28
明治元年186811月日本に帰国。29
12月静岡藩勘定組頭を命ぜられる。
2年18691月同勘定頭支配、同頭格勝手掛中老手附、商法会所取扱を命ぜられる。30
8月会計掛常平倉掛を命ぜられる。
9月商法会所を廃し、常平倉を置く
10月新政府より東京に呼び出される
11月新政府の民部省租税正に任ぜられる。
12月民部省改正掛事務総理を命ぜられる。
3年18705月富岡製糸場主任を命ぜられる。31
8月制度取調御用掛兼務。大蔵少丞
4年18715月大蔵権大丞。32
8月大蔵大丞。
9月「立会略則」「会社弁」刊行。
12月紙幣頭兼任。
5年18722月大蔵省三等出仕。大蔵少輔事務取扱。33
6年18735月退官。34
6月第一国立銀行総監役。
7年187411月東京府知事より共有金取締を嘱託される(東京都養育院の起源)35
8年18751月第一国立銀行頭取に互選される36
4月東京会議所委員に推される。
8月森有礼を助け、商法講習所を開始。
9年18761月東京会議所会頭に選挙される。37
5月東京府より養育院および瓦斯局事務長を申し付けられる。
12月中外物価新報第一号発刊に与る
11年18783月商法会議所会頭。39
12年18798月東京養育院々長に任命される。40
11月商法講習所委員。
13年18808月東京銀行集会所の創立委員長。41
10月足尾銅山に出資。
16年18834月浅野セメント工場成立に援助。44
7月大阪紡績会社の工場落成す(発起)
10月京商工会会頭に選挙される。
17年18843月商法講習所、東京商業学校と改称。45
7月横浜正金銀行株主となる。
18年188510月日本郵船会社を設立す。48
[46]
19年188611月女子教育奨励会評議員となる。47
20年18874月東京人造肥料会社創立委員。
[48]
10月日本煉瓦会社成立(発起)
11月帝国ホテルを創立す(発起)
12月東京手形交換所創立委員。
24年18918月京商業会議所会頭。52
26年189311月貨幣制度調査会委員。54
27年18945月札幌麦酒(株)取締役会長。55
29年18962月東京銀行集会所委員長。57
6月農商工高等会議議長。
9月第一銀行新発足、引き続き頭取
12月鉄道会議臨時委員。
日本勧業銀行設立委員。
30年18971月法典調査会委員。58
3月女子大学校創立委員。
6月巴里博覧会出品組合委員長。
32年18991月衆議院議員選挙法改正期成同盟会会長。60
33年19005月男爵を授けられる。61
34年19011月第五回内国勧業博覧会評議員62
12月帝国教育会名誉会員。
35年19023月朝鮮協会副会長。63
清韓協会幹事長。
5〜9月夫人同伴欧米漫遊。
38年19052月京商業会議所会頭辞任。66
39年19066〜7月韓国視察
[67]
7月南満州鉄道会社設立委員。
40年19072月帝国劇場創立(取締役会長)
[68]
41年190810月中央慈善協会会長。69
11月早稲田大学基金管理委員。
42年19096月東京瓦斯会社その他59会社より隠退。70
7月二松義会顧問。
8〜11月渡米実業団団長として渡米。
10月癌研究所副総裁。
44年19115月維新史料編纂委員。72
12月国際平和議会日本支部会頭。
45年19122月日露協会評議員73
6月消防義会会長。
大正元年19128月日仏銀行相談役。
2年19132月結核予防協会副会長。74
6月教育調査会委員。
10月日本実業協会会長。
3年19141月東北九州災害救済会副総裁。75
5〜6月支那視察。
4年191510月米価調節調査会副会長。76
渡米(翌年1月帰国)。
5年191610月理化学研究所創立委員長。77
7年19189月臨時国民経済調査会委員。79
8年19197月臨時財政経済調査会委員。80
9年19203月アレキサンダー一行、バンダリップ一行を迎えて日米協議会。81
3月日華実業協会会長。
4月国際聯盟協会会長。
5月日華学会会長。
9月子爵を授けられる。
10年192110月渡米(翌年1月帰国)。82
12年19239月大震災善後会副会長。84
帝都復興審議会委員。
13年19243月東京女学館館長。日仏会館理事長。85
14年19255月日本無線電信会社設立委員長。86
15年19262月講道館後援会評議員87
8月日本放送協会顧問。
昭和2年19272月日本国際児童親善会会長。88
3年19281月少年団日本聯盟顧問。89
6月万国工業会議名誉副会長。
9月交通協会相談役。
11月旭日桐花大授章。
4年19298月ザ・アメリカン・ソサエティー・オブ・メカニカル・エンジニアーズ名誉会員。90
11月中央盲人福祉協会会長。
6年19311月癩予防協会会頭。92
4月日本女子大学校長に就任。
5月全日本方面委員聯盟会会長。
8月中華民国水災同情会会長。
11月11日午前1時50分、永眠。
*原本の漢数字はアラビア数字に直した。また数え年の修正追加は[ ]内に補記した。

略年譜にそえて

略年譜にそえて
 この年譜は紙幅の都合により、表題の通り略年譜である。詳しい年譜は『渋沢栄一伝記資料』の第五十八巻(索引)の「事業別年譜」によって頂きたい。
 身辺に関する事項―たとえば結婚・子孫・住居・位階勲等などは、昭和三年十月一日米寿祝賀会の際来会者に配布された「子爵渋沢栄一閣下米寿祝賀会記念録」に記されている。昭和六年十二月発行の『竜門雑誌』五一九号にも付録として「青淵先生職任年表」がついている。
 しかし、これらは配布された範囲が、きわめて限られているので入手困難と思う。伝記資料は、主なる図書館、大学に備えられているから比較的容易にみることが出来るであろう。
 青淵先生の事績は多岐にわたり、従ってわかりやすい年譜の編成には苦心する。伝記資料の事業別年譜は、第一部(四九一件)を「実業・経済」とし、第二部(八六五件)を「社会公共事業」と分け、関係した会社・団体等をそれぞれの業種、性格別に列記している。そして伝記資料の本巻(1・2・3・29・57を除く)に、納められた本文の綱文を収載しているから、関係した実情を端的に知ることが出来る。
 しかし、これは「身辺」にふれていないので、それを知るには伝記資料本巻の第一〜三巻、第二十九巻・第五十七巻によらなければならない。

外部機関の所蔵データほか

NDL-OPAC / CiNii Books / Worldcat / NDL Search / Webcat Plus / Googleブックス 1,2

『青淵』の渋沢栄一没後記念特集号一覧

特集名刊行年月
392青淵翁没後五十周年記念特集1981年11月
393青淵翁没後五十周年記念特集II1981年12月
394青淵翁没後五十周年記念特集III1982年1月

参考リンク