団体名/沿革
- 養育院 [Yoikuin]
江戸町会所、東京営繕会議所の生活困窮者救済事業を引き継いで、1872(明治5)年に東京会議所の事業として設立。同会議所解散後は、東京府営、委任経営時代を経て、1890(明治23)より東京市営、1943(昭和18)年に東京都営となる。中核となる本院のほか事業ごとの分院を設置した。2000(平成12)年、事業は東京都が継承し、名称は消滅する。ほかに事業を引き継いだ団体として、地方独立行政法人東京都健康長寿医療センター、東京都立萩山実務学校、東京都船形学園、東京都石神井学園などがある。
団体史メモ
本社史は東京都養育院創立百周年記念事業の一環として計画され、約3年の編纂期間を経て刊行された。編纂担当は日本女子大学教授で社会福祉学者の一番ヶ瀬康子。社会の中における院の位置づけ、戦後の院の意味をはっきりさせることを念頭に、日常生活の場としての養育院を描き、日本の社会福祉への問題提起とする一書としている。江戸時代まで遡る設立前史から昭和時代の高度経済成長期までの養育院事業の移り変わりを記した本編9編と資料編から成る。本院だけでなく分院各事業の変遷についても詳しい。第一回今和次郎賞受賞。
栄一メモ
1874(明治7)年、渋沢栄一は東京会議所の嘱託により、養育院事務を管理することになる。1876(明治9)年に事務長に任命され、1879(明治12)年から院長制がはじまると初代院長に就任した。亡くなるまで院長としてかかわり続け、養育院事業の発展に尽力した。栄一の功績をたたえ院内(現・東京都健康長寿医療センター)には銅像が建立されている。
- 第二編 創業のころ 第二章 あいつぐ移転
- 第二節 院長制の確立と経営努力(p51-56)
- 院長制はじまり、渋沢栄一就任(p52-53)
- 渋沢栄一[写真](p53)
- 第三節 東京府会の養育院処分(p57-61)
- 院長渋沢栄一の努力と経緯(p60-61)
- 第二節 院長制の確立と経営努力(p51-56)
- 第三編 発展の時代 第一章 大塚移転と分院設置の始まり
- 第二節 感化部設置から井之頭学校創設へ(p91-98)
- 院長の熱意と基金募集(p92-93)
- 第二節 感化部設置から井之頭学校創設へ(p91-98)
- 第四編 「よろず屋」的拡大 第一章 養育院の「よろず屋」的拡大
- 第六節 勝山保養所から安房分院開設へ(p174-176)
- 磨崖碑[写真](渋沢栄一書)(p176)
- 第六節 勝山保養所から安房分院開設へ(p174-176)
- 第五編 救護施設として 第五章 財政規模の拡大と渋沢院長の薨去
- 第三節 院長渋沢栄一の薨去(p313-318)
- 渋沢院長薨去の日同院長銅像に追悼の花環を捧ぐ(昭和六年十一月) [写真] (p314)
- 思い出の記 四 渋沢院長の想い出 / 宮本五郎(p314-315)
- 第三節 院長渋沢栄一の薨去(p313-318)
他多数記述あり。
書誌事項など
養育院百年史 / 東京都養育院編
[東京] : 東京都 : 1974.03
2, 761, 7p, 図版1枚 ; 22cm
注記: 折込み表1枚
- 外部機関の所蔵データほか : NDL ONLINE / CiNii Books / Worldcat / NDL Search / Googleブックス
栄一関連情報
- 渋沢栄一関連会社名・団体名変遷図 - 社会福祉A〔社会事業〕
https://eiichi.shibusawa.or.jp/namechangecharts/histories/view/380 - 渋沢栄一関連会社名・団体名変遷図 - 社会福祉C〔社会事業〕
https://eiichi.shibusawa.or.jp/namechangecharts/histories/view/382
- 渋沢栄一伝記資料事業名 - 【38. 社会福祉施設】東京市養育院
https://www.shibusawa.or.jp/SH/denkijigyo/np038.html#J-0494 - デジタル版『渋沢栄一伝記資料』
参考リンク
- 病院の歴史
〔地方独立行政法人東京都健康長寿医療センター〕
https://www.tmghig.jp/hospital/about/history/(2021年5月26日確認) - 成り立ち・沿革
〔東京都船形学園〕
https://www.jigyodan.org/funakata-gakuen/about/history/(2021年5月26日確認) - 成り立ち・沿革
〔東京都石神井学園〕
https://www.jigyodan.org/shakujii-gakuen/about/history/(2021年5月26日確認)