会社名/沿革
- 株式会社日本交通公社 [Kabushiki Kaisha Nippon Kotsu Kosha]
1912(明治45)年、ジャパン・ツーリスト・ビューローとして創立。1927(昭和2)年、社団法人となる。1934(昭和9)年に日本旅行協会の事業を吸収し国内旅行客部門を拡大。1941(昭和16)年、社団法人東亜旅行社に改称。その後財団法人に改組、さらに社名を東亜交通公社と改める。1945(昭和20年)、財団法人日本交通公社(JAPAN TRAVEL BUREAU)に改称。1963(昭和38)年、営業部門を分離し、株式会社日本交通公社を設立する。以降、財団法人日本交通公社は公益事業を行う調査研究機関として存続。[2012(平成24)年に公益財団法人に移行。また株式会社日本交通公社は、1988(昭和63)年よりJTBに呼称変更を行い、2001(平成13)年に株式会社ジェイティービー、2018(平成30)年より株式会社JTBに商号変更を行っている。]
社史メモ
創立70周年を記念して編纂された本史は、財団法人と株式会社双方の歴史が掲載されており、社史であるとともに団体史ともいえる。編纂は財団法人、発行は株式会社名義となっている。本編は戦前編、戦後編と営業部門を株式会社として分離したのちの財団編で構成されている。巻末に年表・資料編を付属。本史では日本交通公社とは法人としての関係はないが、その創立前史として喜賓会の記述がみられる。
栄一メモ
渋沢栄一は日本への外国人観光客の誘致を目論み、構想を共にした益田孝らと日本初の外客誘致機関である喜賓会を1893(明治26)年に創立する。[栄一は同会幹事長、副会長となる。]ジャパン・ツーリスト・ビューローの創立により、喜賓会がその役割を終え解散となると、栄一は同会の財産、事務員を引き継ぐようビューローに要請するも断られている。なお本史では栄一がビューローの創立を援助したという記述がある。
- 戦前編
- 創業から東亜交通公社まで 〈明治四十五年から昭和二十年まで〉
- 第一章 ビューローの創立
- 「喜賓会」の発足(p8-10)
- 木下淑夫の外客受入れ構想(p10-12)
- 原敬の決断で資金も確保(p12-13)
- 第一章 ビューローの創立
- 創業から東亜交通公社まで 〈明治四十五年から昭和二十年まで〉
書誌事項など
日本交通公社七十年史 / 日本交通公社社史編纂室編纂
東京 : 日本交通公社 : 1982.03
993, 200p ; 27cm
注記: 折り込図1枚 ; 印刷: 交通印刷 ; 製本: 大口製本 ; 縦組み ; 箱入
- 社史・会社に関する各種ID : 『会社史総合目録-- 増補・改訂版』一連アイテム番号: 7960 / 『企業名変遷要覧』企業番号: 1431(ジェイティービー)
- 渋沢社史データベース : 基本情報(書誌事項など) / 目次 / 年表 / 資料編
- 外部機関の所蔵データほか : NDL ONLINE / CiNii Books / 神奈川県立川崎図書館 / Worldcat / NDL Search / Googleブックス / 社史ウィキ
参考リンク
- 沿革
〔公益財団法人日本交通公社〕
https://www.jtb.or.jp/about/history/(2023年1月25日確認) - JTBヒストリー110年の歩み|Our Story
〔株式会社JTB〕
https://www.jtbcorp.jp/jp/ourstory/110th/(2023年1月25日確認)