団体名/沿革
- 日本女子大学校 [Nihon Joshi Daigakko]
本格的な女子高等教育機関の設立を目指した成瀬仁蔵(なるせ・じんぞう、1858-1919)らにより1901(明治34)年、東京・目白に日本女子大学校開校。1904(明治37)年、専門学校令による私立日本女子大学校として認可を受ける。翌1905(明治38)年、財団法人日本女子大学校を設立。[1948(昭和23)年、新制大学として日本女子大学が発足。1951(昭和26)年、財団法人日本女子大学校を学校法人日本女子大学に改組。]
団体史メモ
本史は38頁の巻頭写真図版と本編全11章及び附録から成り、第6章までを女子大学校について記し、特に創立までの経緯と創立者成瀬仁蔵の校長時代に頁を割いている。第7章以下各章は附属校園史、本校学生自治生活史、寮舎史、桜楓会史、本校歴代校長及び創立功労者物故評議員略伝。
栄一メモ
渋沢栄一は成瀬の女子教育に対し、当初懐疑的であったものの、その熱意に接し支援を決意。後援者の一人として同校の創立委員、発起人となる。財団法人設立後は評議員に就任。1931(昭和6)年には第3代校長も務め、亡くなるまで同校の発展に尽力した。また、同校の第1回運動会は栄一の飛鳥山邸の庭園で開催され、1908(明治41)年開寮の「晩香寮」は栄一の寄付、命名によるもの。雑司ヶ谷霊園に眠る成瀬の墓碑文の選と文も栄一が担っている。
- 第三代校長 渋沢栄一子爵[写真](巻頭)
- 第一章 本校創立に至る経過
- 五 設立運動着手
- 伊藤侯訪問(p30-34)
- 九 成立の諸因
- 開校準備(p72-73)
- 五 設立運動着手
- 第二章 成瀬校長時代(其の一)(明治三十四年―四十四年)
- 二 創立当初の成長
- 運動会(p87-89)
- 三 第二期の発展
- 教育学部の開設(p112-115)
- 財団法人設立次第(p119-127)
- 二 創立当初の成長
- 第四章 麻生校長時代(大正八年―昭和六年) 附 渋沢校長時代
- 一 女子綜合大学達成の使命
- 成瀬校長墓碑(p215-216)
- 四 渋沢校長時代(p255-256)
- 一 女子綜合大学達成の使命
- 第九章 寮舎史
- 二 各寮舎の沿革
- 晩香寮(p446)
- 二 各寮舎の沿革
- 第十一章 本校歴代校長及び創立功労者物故評議員略伝
- 一 歴代校長略伝
- 子爵 渋沢栄一氏(第三代校長)(p509-512)
- 一 歴代校長略伝
そのほか関連記述多数あり
書誌事項など
日本女子大学校四十年史 / 日本女子大学校 [編]
東京 : 日本女子大学校 : 1942.04
2, 9, 2, 562p, 図版38枚 ; 22cm
注記 : 奥付の編集・発行者: 中村政雄 ; 折込図5枚 ; 非売品
- 外部機関の所蔵データほか : NDL ONLINE / CiNii Books / 神奈川県立川崎図書館 / Worldcat / NDL Search / Googleブックス
栄一関連情報
- 渋沢栄一関連会社名・団体名変遷図 - 女子教育A〔教育〕
https://eiichi.shibusawa.or.jp/namechangecharts/histories/view/600
- 渋沢栄一伝記資料事業名 - 【60.女子教育】日本女子大学校
https://www.shibusawa.or.jp/SH/denkijigyo/np060.html#J-0841 - デジタル版『渋沢栄一伝記資料』
参考リンク
- 沿革|日本女子大学の歴史
〔日本女子大学〕
https://www.jwu.ac.jp/unv/about/history/history.html(2023年5月31日確認) - 第三代校長 渋沢栄一|日本女子大学の歴史
〔日本女子大学〕
https://www.jwu.ac.jp/unv/about/history/shibusawa.html(2023年5月31日確認) - 日本女子大学校四十年史
〔国立国会図書館デジタルコレクション〕
https://dl.ndl.go.jp/pid/1142385