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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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『慶応義塾誌』 【慶応義塾誌編纂部, 1922】

団体名/沿革

  • 慶応義塾 [Keio Gijuku]

 1858(安政5)年、福沢諭吉(ふくざわ・ゆきち、1835-1901)が江戸築地鉄砲洲の中津藩中屋敷内にて蘭学塾(のち英学塾)を開塾。1868(慶応4)年、芝新銭座へ移転すると年号を取って塾名を「慶應義塾」と定める。1871(明治4)年、三田に移転。1890(明治23)年に発足した大学部(文学科・理財学科・法律科)は私立として日本初の総合大学となる。1907(明治40)年、財団法人に改組。本史刊行の1922(大正11)年当時は大学のほか幼稚舎、普通部、専門部、商工学校、商業学校などを設置している。[1951(昭和26)年、学校法人となる。]

団体史メモ

 開塾65年に際し編纂された。序文に慶応義塾当局の了解の下に編纂とあり、ほかの同塾年史とは発行元が異なる。本史は塾の沿革だけでなく、福沢諭吉の略伝や逸事逸話、関係者による懐旧談、他刊行物から記事を転載した雑録が収録されている。巻頭には福沢の肖像はじめ当時の慶応義塾各施設や福沢の遺筆、旧宅等の写真を掲載。巻頭巻末に企業各社の広告付き。

栄一メモ

 栄一は商業夜学校[慶応義塾商業学校]の記念会や大講堂の新築開館式に来賓として出席、また事業拡大のための寄付金の募集に応じる等同塾の発展を支援した。1916(大正5)年、北里柴三郎らを中心として医学科と化学科の設立が計画されると、栄一は設立委員会に参席し、その趣意に賛同している。

  • 第二 慶応義塾の起源及沿革
    • 商業夜学校記念会(p203-204)
    • 大講堂の開館式(p248-262)
    • 医学科並に化学科設立の発表(p266-267)

書誌事項など

慶応義塾誌 / 慶応義塾誌編纂部編
 東京 : 慶応義塾誌編纂部 : 1922.09
 2, 23, 10, 340, 24, 224, 82p, 図版23枚 ; 26cm
 注記 : 福沢諭吉の肖像あり

慶応義塾誌

栄一関連情報

参考リンク