情報資源センター・ブログ

情報の扉の、そのまた向こう

公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 1919(大正8)年5月12日 (79歳) 日本無線電信株式会社 【『渋沢栄一伝記資料』第52巻掲載】

是より先、栄一、内田嘉吉と共に、日米間の通信状態を改善し又日米友好関係に資するの目的を以て、日米協同事業として海底電線を新たに敷設すべき計画をなす。是日、東京銀行集会所に於て、朝野の名士を招き日米電信株式会社設立協議会を開く。栄一出席して演説をなす。又依託せられて、内田嘉吉と共に調査委員十二名を指名す。次いで創立委員となる。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 2部 実業・経済 / 2章 交通・通信 / 4節 通信 / 1款 日本無線電信株式会社 【第52巻 p.5-13】
・『渋沢栄一伝記資料』第52巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/52.html

当時、日米友好関係のためにも通信状態改善が急務とされ、海底電線による通信会社設立が計画されました。実際には海底電線ではなく無線による通信へと変更になり、「日本無線電信株式会社」が1925(大正14)年に設立されます。同社はその後、1938(昭和13)年に国際電話株式会社と合併し、国際電気通信株式会社となりました。
内田嘉吉(うちだ・かきち、1866-1933)は、明治から大正時代にかけて活躍した官僚で、逓信省台湾総督府などを経て、1925(昭和14)年には日本無線電信の取締役社長に就任しています。内田は日米関係委員会等の会員にも名を連ねており、1920(大正9)年開催の日米有志協議会席上でも海底電線敷設計画の主要人物としてその名が紹介されています(『渋沢栄一伝記資料』第35巻 p.419-420参照)。
参考:わが国海底線通信の沿革 -大正時代-
〔海底線まめ知識 - NTTワールドエンジニアリングマリン株式会社〕
http://www.nttwem.co.jp/knowledge/anecdote/14.html
無線の鉄塔 - 依佐美の鉄塔
刈谷市
http://www.city.kariya.lg.jp/history/musen.html
日本無線電信の設立や依佐美村(愛知県)に無線電信局が設置された経緯などについてまとめられています。
内田嘉吉文庫
千代田区立図書館〕
http://www.library.chiyoda.tokyo.jp/search/uchida.html