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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 1927(昭和2)年10月7日 (87歳) モルガン商会、トーマス・W・ラモント来訪  【『渋沢栄一伝記資料』第39巻掲載】

是日、アメリカ合衆国モルガン商会代表者トマス・ダブリュー・ラモント、渋沢事務所に来訪し、栄一と対談す。次いで十八日、栄一、帝国ホテルにラモントを訪ふ。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 5節 外賓接待 / 15款 其他ノ外国人接待 【第39巻 p.508-517】
・『渋沢栄一伝記資料』第39巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/39.html

トーマス・ウィリアム・ラモント(Thomas William Lamont、1870-1948)はアメリカの銀行家で、1920(大正9)年、および1927(昭和2)年に来日しました。『渋沢栄一伝記資料』第39巻p.508-512にはラモントが渋沢栄一と日米関係等について語り合った際の会話が『竜門雑誌』からの転載として紹介されています。
また『渋沢栄一伝記資料』第39巻p.544には、1928(昭和3)年、ラモントの姻戚でもある米国の実業家エドワード・G・マイナーと交わした会話の中で栄一が次のように語ったことが、『竜門雑誌』からの転載として紹介されています。

[前略] ラモント氏は先般も日本の事業に対する金融の用務を帯びて見えましたが、私は其の時貴方のお仕事は直接的に日本の為めになる、曾て七十年の昔ハリスは日本の開国に力を尽した当時、斯様なことは果して日本の将来の為めになるかどうかと疑つて其の日記に書いて居たが、今日になつて見るとハリスの行つたことは非常に為めになつた。それに比較して貴方の金を貸して下さるのは現実に役に立つと申したのでした。[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第39巻p.544)

参考:昭和金融恐慌後のアメリカの対日経済認識と日米経済関係--1927年10月,モルガン商会ラモントの訪日を通じて-- / 岸田真 (『三田学会雑誌』(慶應義塾経済学会)第96巻3号,2003年10月)
〔プロフィール・研究業績 - 日本大学経済学部 岸田真研究室・ゼミナール〕
http://www.kishida-seminar.jp/profile.html