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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1931(昭和6)年10月30日 (91歳) 満州事変と国際聯盟協会 【『渋沢栄一伝記資料』第37巻掲載】

是年九月十八日、満洲事変勃発す。当協会は九月二十三日臨時理事会、二十九日第九十六回理事会に続いて、是日第九十七回理事会を開きて右に付き慎重審議を重ね、第一回決議を可決し、之を国際聯盟理事会並に各国国際聯盟協会に送致す。栄一当協会会長として此等理事会を招集す。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 3節 国際団体及ビ親善事業 / 13款 社団法人国際聯盟協会 【第37巻 p.358-363】
・『渋沢栄一伝記資料』第37巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/37.html
渋沢栄一伝記資料』第37巻p.358には、満州事変勃発を伝える記事が以下のように掲載されています。

国際知識   第一一巻第一一号・第一二〇―一二一頁 昭和六年一一月
 ○国際関係記事
    満洲事変(我が陸軍の軍事行動)
      奉天で日支軍衝突
 九月十八日〔奉天電通〕 十八日午後十時三十分、奉天駐屯の我が鉄道守備隊と北大営(奉天の北方三哩)の東北陸軍第一旅の兵と衝突目下激戦中である。
 午後十一時二十分我が軍は北大営の支那兵営を占領した。
 我が軍は奉天城方面に砲撃を開始した。(午後十二時)
[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第37巻p.358)

国際連盟の精神を達成する目的で1920(大正9)年に創立された「国際聯盟協会」は、満州事変勃発の5日後に臨時理事会を開催、その後も理事会を重ねて協会としての対処について審議しました。その結果可決された第1回決議が1931(昭和6)年10月30日に国際聯盟理事会、各国国際聯盟協会宛に送付されました。
渋沢栄一は協会会長としてこれらの理事会を召集しましたが出席はしていません。この年の8月に大腸の狭窄が確認され、10月14日に手術、第1回決議が可決された10月30日には、既に栄一の容態は「憂慮すべきもの」(『渋沢栄一伝記資料』第57巻p.719)となっていました。
渋沢栄一伝記資料』第37巻p.361-362には、第1回決議とそれに続く第2回決議の内容が、p.362-363には満州事変勃発以降の国際聯盟協会の動向が『社団法人国際聯盟協会会務報告』(1932.05)からの転載として、以下のように紹介されています。

社団法人国際聯盟協会会務報告 昭和六年度 同協会編
                       第一―二頁 昭和七年五月刊
    一、概観
 我が協会十三年の歴史を通じて、本年度は最も事件に富んだ年であつた。即ち九月十八日に満洲事件が勃発し、未だ其の解決を見ざる間に渋沢前会長の薨去に会し、更に上海事件が突発した。
 本会創立の恩人であり且つ本会を今日の隆盛に育て上げられた前会長が、平和紀念日の十一月十一日を以て永眠せられたことは、洵に不思議の偶然であると人々から称へられた。[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第37巻p.362-363)