- 日本最初の日刊紙「横浜毎日新聞」創刊、子安も参画
『読売新聞百二十年史』 >> 社史紹介「よ」を別窓で開く
「横浜毎日新聞」の創刊に参画した子安峻(こやす・たかし、1836-1898)は、1874(明治7)年に日就社初代社長として「読売新聞」を創刊しました。日就社は1917(大正6)年読売新聞社と改称しました。
なお、「横浜毎日新聞」の活字印刷は、長崎の本木昌造の弟子が指導しました(『読売新聞百年史』(読売新聞社, 1976)p.128)。「横浜毎日新聞」はその後「東京横浜毎日新聞」「毎日新聞」「東京毎日新聞」(現在の毎日新聞とは別)と紙名が変遷し、1940(昭和15)年に「帝都日日新聞」へ吸収されました。(参考文献:春原昭彦『日本新聞通史』四訂版(新泉社, 2003.05))
参考:読売新聞小史
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