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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1917(大正6)年2月3日 (76歳) 早稲田大学主催、喜寿祝賀会 【『渋沢栄一伝記資料』第45巻掲載】

是日当大学、帝国ホテルに於て、春季校友大会を兼ね栄一の喜寿祝賀会を催す。栄一出席して謝辞を述ぶ。又記念として南薫三[南薫造]揮毫の栄一の肖像画を当大学内に掲ぐ。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 5章 教育 / 3節 其他ノ教育関係 / 8款 早稲田大学 【第45巻 p.326-332】
・『渋沢栄一伝記資料』第45巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/45.html

竜門雑誌  第三四五号・第一〇九頁 大正六年二月
早稲田大学の青渊先生喜寿祝賀会 早稲田大学出身の京浜在住者諸氏は、二月三日午後五時より帝国ホテルに於て、春期校友大会を兼ねて、同大学基金管理委員長として多年尽瘁せられたる青渊先生の喜寿祝賀会を催されたり。当日の来賓は大隈侯爵・青渊先生・高田名誉学長・天野学長其他校友八百余名にて頗る盛会なりし由
(『渋沢栄一伝記資料』第45巻p.326)

1917(大正6)年2月3日、渋沢栄一喜寿祝賀会を兼ねた早稲田大学春季校友大会が帝国ホテルで開催されました。
渋沢栄一伝記資料』第45巻p.327-332には、ホテルのグランドホールに南薫造(みなみ・くんぞう、1883-1950。洋画家)による栄一の油彩肖像画掲示されたこと、その肖像は栄一の喜寿を記念して大学校内に掲示される予定であることなどが、栄一挨拶文の全文とともに『早稲田学報』第265号(1917.03)からの転載として紹介されています。(南薫造「渋沢栄一肖像」(1916)は、「早稲田大学所蔵近代美術データベース」で閲覧可能。IDを「140」で検索すると南薫造「渋沢栄一肖像」がヒットします。)

栄一は、1908(明治41)年より早稲田大学基金管理委員長として同校運営を支え、また1917(大正6)年9月26日には早稲田大学維持員としていわゆる「早稲田騒動」の調停にも尽力しています。
参考:早稲田大学所蔵近代美術データベース
早稲田大学會津八一記念博物館〕
http://db2.littera.waseda.ac.jp/bijutsu/index.html
『日本近代美術コレクション』知られざる秀作群
早稲田大学會津八一記念博物館〕
http://www.waseda.jp/aizu/colle/colt3.html