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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1919(大正8)年2月6日 (78歳) 原敬と帝国開墾について協議 【『渋沢栄一伝記資料』第54巻掲載】

日栄一、総理大臣原敬を官邸に訪ひ、政府の補助による当会社の設立に関し協議し、次いで二十三日及び二十八日の両度に亘り、同様協議す。三月六日、総理大臣原敬、実業家六十余名を官邸に招待し、当会社の成立につき尽力を要望する所あり、同席上に於て栄一、武井守正・益田孝等二十名と共に、創立準備委員に挙げられ、次いで創立者総代に推さる。然るに議会に於て、政府提出の開墾補給法案不成立となりたるため、当会社は設立に至らずして熄む。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 2部 実業・経済 / 5章 農・牧・林・水産業 / 1節 農・牧・林業 / 5款 帝国開墾株式会社 【第54巻 p.206-208】
・『渋沢栄一伝記資料』第54巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/54.html

二月六日 晴 寒
○上略 午後二時永田町首相官邸ニ抵リ、原総理ニ面会シ、東北振興会ニ関シ開墾会社設立ノ事○中略ヲ述フ ○下略
(『渋沢栄一伝記資料』第54巻p.206、「渋沢栄一 日記 大正八年」より)

帝国開墾株式会社設立計画の背景には、1917(大正6)年の米価暴騰がありました。政府は応急措置として外米輸入により米価調整をはかったものの、国産奨励会東北振興会では「永久に食糧を充実せしめて以て国民生活の安定を図る」根本的な良策として、未開墾地整備が計画されました。
1919(大正8)年2月6日、東北振興会会長を務めていた渋沢栄一は、永田町の首相官邸原敬を訪ねて開墾会社設立について談じました。ひと月後の3月6日、原は実業家らを招き「議会に開墾助成法案を提出したが、それだけでは十分ではない、実業家の尽力をもって民間に大開墾会社を設立してほしい」と訴えたところ実業家もそれに賛同。帝国開墾株式会社の設立が計画され、その席上で栄一は創立者総代に推薦されました。
その後も設立委員会が催されるなど計画は着々と進められましたが、この開墾補給法案は衆議院を通過したものの貴族院は通過せず、会社設立計画は不成立となりました。
渋沢栄一伝記資料』第54巻p.206-207には、これらの経緯が栄一の日記や『竜門雑誌』からの転載により紹介されています。