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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1915(大正4)年2月9日 (74歳) 大日本平和協会と日米関係調査委員会 【『渋沢栄一伝記資料』第35巻掲載】

是より先、当協会及び在日米国人平和協会より代表者各十五名以て日米関係調査委員会を組織す。是日第一回の会合を開き、栄一其委員に選ばる。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 2節 米国加州日本移民排斥問題 / 7款 日本平和協会 【第35巻 p.510-516】
・『渋沢栄一伝記資料』第35巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/35.html

○二月九日、午後四時大日本平和協会ニテ日米両平和協会代表者各十五人日米関係研究ノ為メ会合ス、第一回ナリ
 右第一回会合ニテ余座長トナリ挨拶ス、次テギユーリツク氏米国ノ排日状況ニ付テ、金子子爵同問題ノコトニ付テ演説アリ、散会ス
(『渋沢栄一伝記資料』第35巻p.511、「(阪谷芳郎)大日本平和協会日記 大正四年」より)

日本平和協会とは、「人種間・国家間関係を親密にし、国際紛議を平和的手段で解決できるよう尽力、世界平和を保全、人類の幸福を増進することを目的」とした団体で、渋沢栄一は1912(明治45)年より同会の名誉評議員を務めています(『渋沢栄一伝記資料』第35巻p.493-496、「大日本平和協会書類」より)。
日米関係調査委員会とは、在日米人平和協会が日米関係調査に際し、大日本平和協会に共同研究を打診したことから始まった委員会で、1915(大正4)年2月9日、阪谷芳郎を座長に第一回会合が開催されました(『渋沢栄一伝記資料』第35巻p.510-511、「(阪谷芳郎)大日本平和協会日記」より)。委員は日米からそれぞれ15人、渋沢栄一もその委員の一人でした(『渋沢栄一伝記資料』第35巻p.516、川島伊佐美著『日米外交史』(サンフランシスコ : 波多江実, 1932.02)より)。

渋沢栄一伝記資料』第35巻p.510には、前年の1914(大正3)年12月19日に在日米人平和協会のギルバート・ボールズ(Gilbert Bowles)から共同研究の打診があったことが次のように紹介されています。

○十二月十九日、平和論叢一号受
 ボールス氏来状、在日米人平和協会ニテ委員十五人ヲ選ヒ日米関係ヲ調査スルニ十七日総会ニテ決定ニ付、日本平和協会ニテ同人数ヲ選ビ(会員内外ヲ問ハズ)共同研究ヲ望ム云々
(『渋沢栄一伝記資料』第35巻p.510、「(阪谷芳郎)大日本平和協会日記 大正三年」より)

またp.511-515には、「Members of the joint investigating committee appointed by The Japan Peace Society and The American Peace Society of Japan」のタイトルの下、日米各メンバー名と簡単なプロフィールが英文で紹介され、それに続けて第1回会合の開催が「ジャパンタイムス(Japan Times)」1915年2月10日号からの転載として紹介されています。