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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1894(明治27)年3月9日 (54歳) 大婚二十五年祝典で参内 【『渋沢栄一伝記資料』第29巻掲載】

日栄一、宮中に於ける大婚二十五年祝典に召されて参内す。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 3部 身辺 / 2章 栄誉 / 4節 伺候・参列 【第29巻 p.282】
・『渋沢栄一伝記資料』第29巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/29.html

1894(明治27)年3月9日、宮中で明治天皇のご結婚25年を祝う式典「大婚二十五年祝典」が開催され、渋沢栄一は召されて参内しました。栄一に同行した長女の穂積歌子(ほづみ・うたこ、1863-1932)は、その著書『はゝその落葉』の中でこの日のことを次のように記しています。

はゝその落葉 穂積歌子著  第六二丁 明治三三年二月刊
○上略 久かたの天の御柱めぐりめぐりて。廿年あまり五つとせと云ふにならせ給ヘバとて。やがて其年の春三月九日。御祝典取行はせ給ひ。勅任以上の司人。および民間にあるも四位以上の人々ハ。其夫人と共に九重の内に召しのぼせ給ひ。御代ことほぎの舞楽拝観をなんゆるさせ給ひける。されバ数ならぬ身も此おほん恵ミの露にもれざりし事こそいとうれしかりしか。大人にハ冠をかけ給ひしより。公の御儀式にたづさはらんも要なしとて。議会開院の式にすら出まし給はざりけれどこたびハあまりの御めでたさに。始めて四位の大礼服調ぜさせられて参内せさせ給ひき。 ○下略
(『渋沢栄一伝記資料』第29巻p.282より)

穂積歌子は渋沢栄一の娘として、また法学者穂積陳重の妻として日記をつけており、その記録からは明治時代の様子を垣間見ることができます。
大礼服の渋沢栄一

大礼服の渋沢栄一
渋沢栄一伝記資料』別巻10 p.97掲載