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 1909(明治42)年8月19日 (69歳) 渋沢栄一、アメリカへ 【『渋沢栄一伝記資料』第32巻掲載】

日栄一、渡米実業団一行を率ゐて東京を発し、横浜よりミネソタ号に乗船、シアトルに向ふ。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 1節 外遊 / 1款 渡米実業団 【第32巻 p.55-83】
・『渋沢栄一伝記資料』第32巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/32.html

渋沢栄一 日記  明治四二年         (渋沢子爵家所蔵)
八月十九日 半晴 大暑
午前六時起床、入浴シ、畢テ新聞紙ヲ一覧ス、又頭髪ヲ理ス、荒井氏ヘ書状ヲ作リ、且留守中ノ要務ヲ筆記ス、七時半朝飧ヲ食シ、九時過家ヲ発シ、兼子 ・ 愛子ト共ニ自働車ニテ停車場ニ至ル、此日渡米一行東京ヲ発スルニ付、場内送別人ニテ、立錐ノ地ナキニ至ル、停車場ノ階上ニテ見送ノ人々ト会談シ、十時三十二分発ノ特別汽車ニテ横浜ニ抵ル、送別ノ人頗ル多シ、銀行集会所ニテ家族・近親ノ人々ト共ニ午飧シ、一時新埠頭ニテ一同会合シ、小蒸気船ニテ本船ミネソタ号ニ抵ル送別ノ人尚多ク船ニ来ル、午後三時解纜、此日天気晴レテ船平穏ナリ、七時夜飧シ、食後甲板上ヲ散歩シ、且一行ノ人々ト雑談ス、夜十時東京野崎氏○広太・ 横浜来栖氏○横浜商業会議所副会頭来栖壮兵衛 等ヨリ無線電信来ル、堀越氏ヲシテ返信ヲ発セシム、十時寝ニ就ク
 (欄外)
 天候ハ悪シカラサルモ暑気堪へ難シ、夜ニ入ルモ涼ヲ覚ヘス
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.55掲載)

1909(明治42)年8月19日、渋沢栄一を団長とする渡米実業団一行は、北米太平洋沿岸聯合商業会議所の招待をうけて、米国視察の旅に出発しました。
朝9時過ぎに飛鳥山の自邸を出て自動車で新橋駅に向った栄一は、そこで大隈重信など多くの人々の見送りを受け、特別列車に乗り換えて横浜駅へと向いました。横浜駅では知事をはじめ数百人の出迎えの人々がプラットホームに溢れ、到着の一行が下車しようにも足の踏み場もないほどでした。それから一行は各々人力車や馬車で、雲のような群集をかき分けて港へと移動しました。市街の沿道には国旗が飾られ、その光景は前月の開港五十年記念祭にまさるとも劣らない盛観だったようです。港では渡米団の旗を翻したランチ(小艇)が沖停泊の巨船ミネソタ号へと乗客や見送り客を運んで行き交い、海上も大変な賑わいを呈していました。
出航は炎熱焼くような真夏の午後3時20分。熱い歓声に送られ、それが4か月にわたる長旅の始まりとなりました。
参考:渋沢史料館テーマ展「渋沢栄一アメリカへ〜100年前の民間経済外交〜」
〔渋沢史料館 - 財団法人渋沢栄一記念財団〕
http://www.shibusawa.or.jp/museum/event_theme.html
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