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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 『東京電気株式会社五十年史』 【東京芝浦電気, 1940】

会社名

東京電気株式会社

書誌事項

東京電気株式会社五十年史 / 東京芝浦電気株式会社マツダ支社編
 東京 : 東京芝浦電気, 1940.12
 12, 2, 698p, 図版46枚 ; 27cm
 注記: 奥付の編輯兼発行者: 東京芝浦電気株式会社マツダ支社安井正太郎 ; 装幀: 和田三造 ; 印刷: 共同印刷 ; 折り込図8枚 ; 非売品 ; 縦組み ; 表紙に雷神, 裏表紙に商標の型押し ; 商標のマツダゾロアスター教の光の神アウラマツダに依る ; 東京銀座通電気灯建設之図の錦絵: 沿革編冒頭 ; 社業年譜: p278-298

外部機関の所蔵データほか

NDL-OPAC / Webcat / 神奈川県立川崎図書館 / Worldcat 1,2 / Webcat Plus / Googleブックス 1,2,3

社史紹介

明治以降電気供給事業の開始後も、電球は海外からの輸入に依存していた。東京電灯会社技師長藤岡市助(ふじおか・いちすけ、1857-1918)と三吉電機工場主三吉正一(みよし・しょういち、1853-1906)は電球の国産化を企図し、1890年(明23)白熱舎を設立。1895年(明28)東京白熱電灯球製造、1899年(明32)東京電気と改組改称。1913年(大2)頃優秀製品のタングステン電球にマツダ命名。電球製造から始まった事業は、真空技術からX線管製作・医療電気機器製造、また無線関係機器製造と、電気機械器具を網羅する一大製造事業へ成長する。1939年(昭14)芝浦製作所との合併により東京芝浦電気が誕生し、東京電気は新会社のマツダ支社となる。
合併を機に編纂された白熱舎創立からの50年史は沿革、製品、研究所、厚生施設、関係会社、補遺の各篇からなる。多くの図版入りだが戦時下のため工場全体の写真は無い。
[『芝浦製作所六十五年史』も1940年(昭15)に東京芝浦電気から出版されている]

参考リンク

*このエントリーは、実業史研究情報センターのサイトで公開している「社史紹介」に先駆けて「速報版」として公開するものです。