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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1896(明治29)年6月6日(土) (56歳) 渋沢栄一、農商工高等会議議員に任命される 【『渋沢栄一伝記資料』第23巻掲載】

是より先四月二十八日勅令第百五十二号を以て農商工高等会議規則公布され、是日栄一、議員を仰付らる。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 1部 社会公共事業 [実業・経済] / 8章 政府諸会 / 1節 諮問会議 / 6款 農商工高等会議 【第23巻 p.281-284】

農商工高等会議とは、海外貿易に関する事項について、農商務大臣の諮問会議として、官吏だけでなく民間からも農商工に関する有識者が召集されました。1896(明治29)年10月19日から26日にかけて開催された第1回会議では次のような諮問案について討議がなされました。
第一回会議諮問案
 第一 清国長江航路調査員派遣ノ件
 第二 海外金融機関ノ件
 第三 税関監督保税倉庫設置ノ件
 第四 重要輸出品販路拡張ノ件
 第五 海外通信ノ件
 第六 海上保険ノ件
 第七 職工ノ取締及保護ニ関スル件
議員の一人に任命された渋沢栄一は、10月19日の会議開催に先立ち、政府から提示された各諮問案と意見が異なる場合には忌憚無く意見を述べて審議する所存である旨を述べ、10月26日の閉会時には、今後も政府において外国貿易繁盛を図るための方策を提示して欲しいと希望を述べています。その後栄一は、翌年に開催された第2回会議にも出席、第3回会議では議長に任命されたものの病気のため欠席しています。
農商工高等会議について、『渋沢栄一伝記資料』第23巻p.284には、1899(明治32)年に木内重四郎きうち・じゅうしろう、1866-1925。商工局長、後に京都府知事)が「第八回商業会議所聯合会会議」で語った内容が、また、『渋沢栄一伝記資料』別巻第5 p.569には、渋沢栄一が1927(昭和2)年に語った回顧が次のように紹介されています。

○商工局長(木内重四郎君)  [前略] 農商工高等会議ハ二十九年ノ四月ニ始メテ規則ガ出来マシテ、其第一回ハ二十九年ノ十月ニ開キマシタ、ソレカラ第二回ハ翌三十年ノ三月ニ開キマシタ、サウシテ三十年ノ六月ニナツテ更ニ規則ヲ改メマシテ第三回ノ会議ハ昨三十一年ノ十月ニ開キマシタ、色々重要ナル問題ガ数多クアリマシタ、議員ハ総テ熱心ニ御討論ガアツテ吾々ニ最モ有益ナル智識ヲ与ヘタノミナラズ、政府ノ商工業ニ対スル政策ヲ決スル上ニ於テ少ナカラヌ裨益ヲ与ヘタコトヽ思ツテ居リマス、併シ此事ハ三十年ノ六月ニ規則ヲ改正シテ、従前ハ海外貿易ニ関スル事項ヲ審議スル諮問府デアリマシタガ、其後ニハ総テ農商工ニ関スル総テノ重要ナル事項ヲ諮問スル機関トナリマシタ [後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第23巻p.284掲載、『第八回商業会議所聯合会議事速記録』p.173より)

    雨夜譚会 第九回
  第九回雨夜譚会は、昭和二年六月二十四日午後四時半より飛鳥山邸に於て開かる。
[中略]
敬三[渋沢敬三]。それで次に農商工高等会議に就てのお話を願ひます。(予備調べを読む)
先生[栄一]。それに就てはどうもお話する程の記憶がない。政府から云ひつけられたからやつた程度のことであらう。議長なども名を付けられたのに過ぎないのであらうと思ふ。[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』別巻第5 p.569)



参考:農商工高等会議議事速記録 第1,3回(明治29,31年)
国立国会図書館デジタルアーカイブポータル〕
第1冊:http://porta.ndl.go.jp/Result/R000000008/I000060439
第3冊:http://porta.ndl.go.jp/Result/R000000008/I000060440
農商工高等会議ニ於テ海外貿易ニ関スル金子農商務次官ノ演説 (農商工高等会議, 1896.11)
国立国会図書館デジタルアーカイブポータル〕
http://porta.ndl.go.jp/Result/R000000008/I000121493