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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1922(大正11)年11月23日(木) (82歳) 渋沢栄一、和田豊治に手写した「孝経」を贈呈 【『渋沢栄一伝記資料』第41巻掲載】

日栄一、和田豊治にその手写したる孝経を贈る。和田豊治は是を影印して知人に頒たんとして果さず、十三年三月四日歿す。仍つて家人は其の遺志を継承して、玻璃版に複製し同年八月知人に頒つ。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 4章 道徳・宗教 / 1節 儒教 / 12款 手写孝経 【第41巻 p.285-288】

渋沢栄一は嫡孫である渋沢敬三(しぶさわ・けいぞう、1896-1963)の婚儀で媒酌人を務めた和田豊治(わだ・とよじ、1861-1924。実業家)のために、孝経全18章を手写、1922(大正11)年11月23日に兜町の渋沢事務所において和田本人に贈呈しています。
渋沢栄一伝記資料』第41巻p.285には、栄一の秘書役である増田明六の日誌、和田豊治の伝記『偉人和田豊治翁』からの再録として、その経緯が次のように紹介されています。

(増田明六)日誌 大正一一年 (増田正純氏所蔵)
十一月廿三日 木 新嘗祭 晴
○上略
兜町事務処にて子爵は和田豊治氏と会談して、予て同氏の為めに認められたる孝経壱巻を其場で贈呈した、右孝経は今夏子爵伊香保ニ避暑中、精を凝して揮毫せられしものにて、之を黒須広吉氏ニ託し、精巧の表装を為し、箱書をも子爵親ら為したのである。
此贈物を為すに至りしハ、今春同氏の媒酌で子爵令孫敬三氏と木内重四郎氏令嬢とき子氏の結婚芽出度執り行ハれたるニ対する謝意の表徴なのである、和田氏ハ極めて孝心厚き人なり、孝経を贈られしハ故ある哉である
○下略
(『渋沢栄一伝記資料』第41巻p.285掲載)

また『渋沢栄一伝記資料』第41巻p.285-287には、栄一による手写孝経の複製『渋沢青淵翁手書孝経』が和田家から頒布された経緯が次のように紹介されています。

偉人和田豊治翁 三木作次郎著 第五二頁大正一四年三月刊
    第七章 先生の孝養
○上略
渋沢子爵は予て先生 和田豊 の孝心深きを知り、大正十一年香山の客舎(伊香保)に於て、孝経全部十八章を楷書にて揮毫し先生に贈呈せられた。先生は此儘之を保存するに忍びずとて自ら跋文を草し、叙文は斯界の大家土屋鳳洲翁に、題簽は六橋杉渓言長翁に請ひ、以て副本を製して之を知友に頒つ計画なりしが、突然訃音を伝へ、一時の頓挫を見たるも、和田家にては其の遺志を継承して、玻璃版に附し巻軸に表装し、客年八月寡夫人の挨拶状を添へ親戚知人に贈呈せられた。
○下略
   ○大正十三年十二月、和田家ハ更ニ同版ヲ帖製ニ装幀シテ頒布ス。
(『渋沢栄一伝記資料』第41巻p.285掲載)