情報資源センター・ブログ

情報の扉の、そのまた向こう

公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 ホームステッド製綱所 - 渡米実業団が訪問したピッツバーグの今昔 (2)

カーネギー / ホームステッドの製鋼所跡 / 『アンドルー・カーネギー自叙伝』

カーネギー

 スコットランドの手織職人の息子アンドリュー・カーネギー(Andrew Carnegie, 1835-1919)は、1848年13歳の時に両親と共に米国ピッツバーグに渡りました。ペンシルバニア鉄道の電信オペレータなどを経て、種々の投資により起業家として鉄鋼業へ進出し大成功をおさめました。1901年に会社をJ.P.モルガンに4億ドルで売却し、以降は社会事業家として活動しました。モルガンはカーネギーの製綱所をもとにUSスチールを創立しました。

ホームステッドの製鋼所跡

 ピッツバーグの南東に位置するホームステッドは川沿いにカーネギーの製綱所があったところで、1892年に大規模なストライキが起こったことでも知られています。現在は12本の巨大な煙突だけが保存されています。

ホームステッドの12本の煙突
12本の煙突が並ぶ

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 1909年の渋沢栄一訪問時に、カーネギーはあいにくスコットランドへ出かけていましたが、渡米実業団一行は総敷地228エーカー(約1平方キロメートル)という広大な工場を見学し、職員集会所で午餐をとったそうです。
 工場施設があった周囲の土地には、現在はウォーターフロントという名の巨大なショッピングセンターが建てられていました。また2本の川が合流した地点に位置するピッツバーグには、鉄鋼の街らしく鉄橋がいたるところに架けられていました。(2012.03.20訪問)
ホームステッドの川にかかる橋
川にかかる複数の橋

『アンドルー・カーネギー自叙伝』

 渋沢栄一カーネギーはあいにくその後も面会はかないませんでしたが、栄一はカーネギーの偉大な足跡に感銘を受け、彼の没後1921年の渡米時にニューヨークの故人宅で未亡人ルイスを見舞いました。そしてルイス夫人からカーネギーの自伝を受け取り、それを日本に紹介するため1922年に翻訳出版した『アンドルー・カーネギー自叙伝』冨山房)に、実業と社会事業に邁進したカーネギーを称える序文を寄せています。

『アンドルー・カーネギー自叙伝』表紙
『アンドルー・カーネギー
自叙伝』表紙
『アンドルー・カーネギー自叙伝』目次:
項目ページ
序 / 渋沢栄一
序 / ルイス・ホイットフィールド・カーネギー
編者緒言 / ジョン・シー・ヴァンダイク
凡例 / 小畑久五郎
1 両親と幼年時代1
2 ダムファリンと米国28
3 ピッツバーグと労働48
4 アンダーソン大佐と蔵書67
5 電信局80
6 鉄道業務96
7 ペンシルヴァニア鉄道の管理126
8 南北戦争時代148
9 橋梁建設172
10 製鉄業194
11 本拠としての紐育223
12 商事交渉249
13 鋼鉄時代269
14 同志社員と著作と旅行295
15 馬車旅行と結婚314
16 工場と工人330
17 ホームステッド罷業341
18 労働問題361
19 富の福音385
20 教育基金及恩給基金407
21 平和殿とピッテンクリーフ430
22 マシウ・アーノルド及其他457
23 英国政界の領袖478
24 グラッドストンとモーレー492
25 ハーバート・スペンサーと其門人517
26 ブレーンとハリソン520
27 華盛頓外交544
28 ヘーとマッキンレー557
29 独逸皇帝に謁見570

参考リンク