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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 竜門社の沿革(『青淵』第600号収載) 【渋沢青淵記念財団竜門社, 1999】

書誌事項

青淵. 第600号
 東京 : 渋沢青淵記念財団竜門社, 1999.03
 p56 ; 21cm (発刊50年・第600号記念)
 内容: 竜門社の沿革:p2-3

解題

 渋沢栄一(1840-1931)を慕う書生たちにより1886年(明19)発足した竜門社は、1946年(昭21)(財)渋沢青淵翁記念会を吸収して渋沢青淵記念財団竜門社となる。本稿は「発刊50年・第600号記念」として刊行の機関誌『青淵』第600号(1999年)に掲載された「沿革」。およそ時代順の4項目からなり、(1)は竜門社発足から1924年(大正13)財団法人になるまで、(2)は栄一没後から戦後に『渋沢栄一伝記資料』を刊行するまで、(3)は渋沢栄一の事績が注目されていく時代趨勢、(4)は渋沢史料館の開設から新本館の完成の頃まで。
[この項目区分は、渋沢青淵記念財団竜門社の後身である渋沢栄一記念財団の、ウェブサイト掲載「沿革」に踏襲されている]

「竜門社の沿革」(『青淵』第600号p2-3より転記)

(1)
 わが国近代経済社会発展の歴史そのものともいえる渋沢栄一(号は青淵《せいえん》)の事業とその名声が、世の中に広まりつつあった1886(明治19)年4月、当時東京深川にあった渋沢邸の書生部屋に寄寓していた前途有為の青年たちが、互いに勉学に努め、成果を発表する会を結成しました。その指導に当たっていた尾高惇忠が、鯉が黄河中流の急流を登って竜になるという中国の故事に因んで、この団体を「竜門社」と命名したのが、今日の竜門社の始まりです。
 また、青年たちの勉強の成果を発表する場として、同年創刊されたのが『竜門雑誌』で、爾来、同誌は竜門社の機関誌として成長を続けました。1949(昭和24)年4月、同誌を継承、改題して発刊されたのが、現在の機関誌『青淵』であります。
 渋沢栄一は、日本の経済界の偉大な指導者であったばかりでなく、信奉する『論語』の思想の実践に努め、自ら力説した「道徳経済合一説」に基づく栄一の活動は、個別事業経営の範囲を遥かに越え、経済界の組織化、民間外交・教育・社会福祉の推進など、世のため、国のために役立つことすべてに広がっていきました。これに伴い、多くの人びとの思慕と共鳴を得て竜門社の集まりも拡大していきましたので、1909(明治42)年、栄一の助言に従って、会員一同協議の末、主義綱領を定め、社則を改め、新しい組織として、発展の基礎を固めました。
 その後、1924(大正13)年、竜門社は財団法人となり、栄一の関与する事業の成長と、竜門社を支える人びとの増加とあいまって、財政・事業ともに充実し、出版や講演会活動などを通じ、当時のわが国の経済・文化面に大きく貢献することができるようになりました。
(2)
 1931(昭和6)年、竜門社の活動の支柱であった栄一が亡くなり、栄一が生前、民間外交を通じて力を注いだ世界平和実現の希望とはうらはらに、わが国は国際社会で孤立するようになり、やがて起こった長く激しい戦争とその敗北、戦後の混乱と窮迫は、竜門社自身の活動をも抑圧し、ついには、その存続を根底から揺るがすまでになりました。
 しかし、孫の渋沢敬三を中心に、竜門社は多くの困難を乗り越え、再建されました。1946(昭和21)年には、財団法人渋沢青淵翁記念会(栄一の生誕百周年を記念して結成され、遺徳顕彰のため銅像建立や出版を行った団体)を整理吸収し、竜門社は、現財団名「渋沢青淵記念財団竜門社」と称することになりました。そして、戦争末期に国に寄付されていた東京王子飛鳥山の旧渋沢邸の返還を受け、ここを本拠としつつ、個人の伝記資料としては恐らく世界一の規模と思われる『渋沢栄一伝記資料』全68巻を編纂、発行するなど、竜門社の戦後復興と内容の充実、また事業の伸展には、まことに見るべきものがありました。
(3)
 1963(昭和38)年の渋沢敬三の没後、殊にオイルショック後のわが国の経済的苦難の時代には、竜門社の組織の維持や事業の継続にも多くの困難が降りかかりましたが、団体並びに個人の維持会員の献身的なお力添えによって、切り抜けることができました。
 欧米諸国は、戦後のわが国のめざましい成長発展に着目し、その成長の基礎は明治期における日本の近代国家への変貌過程にあるとして、経済・政治・文化の諸方面から、さまざまな分析を加えております。発展途上国もまた、当時の日本を良きモデルとして、研究を進めるようになってまいりました。
 渋沢栄一の事績は、当然これらの研究の中核のテーマをなすもので、海外の著名な研究者たちも、渋沢栄一の功績とその文化史的意義を高く評価しています。一方、国内においては、高度成長期が終わり、世の中が安定するにつれ、道義・道徳が尊重される風潮が回復しつつあり、栄一の事績と精神が、近来とみに見直されてきております。
(4)
 これら環境の変化に応じて、竜門社も時代に即した体質を備えるため努力を重ねております。
 会員向け機関誌『青淵』は、時代に即した、会員の皆さまの心を繋ぐ雑誌として、近年ますます体裁、内容ともに充実してまいりました。そしてこの3月には、創刊50年、第600号の発刊を迎えることとなりました。
 1982(昭和57)年には、敬三の遺志を受け継ぎ、飛鳥山に栄一の事績の顕彰を中心とする博物館「渋沢史料館」を開設しました。1998(平成10)年3月には、拡充された飛鳥山公園の中心部に「渋沢史料館」の新しい本館を開館し、隣接する「北区飛鳥山博物館」「紙の博物館」とともに、従来以上に多くの来館者に、渋沢栄1の生涯と事績を知っていただく力強い拠点としております。
 1989(平成元)年に数人の若い研究者によって始められた「渋沢研究会」は、年々その裾野を広げ、年一回発行される研究紀要『渋沢研究』の内容も、年を追うごとに充実し、内外から学術的に高い評価を受けております。竜門社も、「渋沢研究会」の発展を積極的に支援しております。
 本年、竜門社は創立113年を迎えました。バブル崩壊後の日本社会が、根底からの変革を模索し、世界もまた、日本に新たなリーダーシップの確立を求めている現在、竜門社に対する社会の期待の大きさを痛感しております。

*漢数字は原則としてアラビア数字に直した。

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