情報資源センター・ブログ

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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 「クロアチアのMuseum Documentation Center (MDC)」 (9) MDCの創設者バウアー博士とライブラリアン

 Museum Documentation Center(MDC)所長のMs. Visnja Zgaga氏によれば、MDCのような組織は「旧ユーゴの他の国には無く、創設者アントゥン・バウアー(Antun Bauer, 1911-2000)博士のアイデアによるもの」で、「博士とその仲間は同時期にドイツのベルリンとチェコのブルノに同様の機関を作りましたが、ザグレブのものが最も大きかった」とのことです。ではMDCの創設者バウアー博士とは、いったいどのような人物だったのでしょうか。

MDCの創設者バウアー博士

 バウアー博士の情報は、MDCの人物アーカイヴにまとめられています。そのデータをみると、彼は自身のコレクションと寄付により、クロアチアにいくつもの博物館とギャラリー、美術アーカイヴを創設していたことがわかります。また学術雑誌『博物館学』を創刊し、博物館界でさまざまな業績を築いています。そしてそれらの活動の成果が、MDC設立につながっていると考えられます。収録データの概要は次の通りです。

アントゥン・バウアー
学習分野:美術史と考古学の学士
学位:博士
専門職位:科学顧問
業務分野:博物館学
専門分野:ローマ時代の鉛彫刻、収集、管理
所属機関:クロアチア科学芸術協会グリュプトテーククロアチア学校博物館MDC

略歴:
1911年 ヴコヴァル(クロアチア東部の都市)に生れる
      ヴコヴァルの小学校、オシエク(同じく東部の都市)の高校で学ぶ
1935年 ザグレブ大学で芸術と考古学を学び哲学部を卒業、学位取得後に小アジアで長期間考古学を調査
1937年 ウィーンとミュンヘン大学でローマの鉛彫刻についての学位論文を書き、博士号を取得
      この年「石膏像コレクション(ギプソテカ)」を創立し、1952年までディレクター
1939年 ザグレブの考古学研究所で実習助手(〜1942年)
1940年 オシエクの絵画ギャラリーを創設
1942年 ザグレブの美術アーカイヴを創設
1948年 ヴコヴァル市立博物館を創設
1949年 ユーゴスラビア学術協会芸術局の科学フェローに選出
1950年 クロアチア民共和国で初の博物館学賞を受賞
1952年 クロアチア学校博物館の館長に任命され、常設展示のコンセプトを企画し、多くの展示会を開催
1953年 学術雑誌『博物館学』を自費で創刊
1955年 ヴコヴァル絵画ギャラリーを創設、MDCの設立を主導。その後多くの会議、シンポジウム、国際研究に参加し、欧州各地で数多くの講義を行い、博物館学における業績で多くの賞を受賞
1986年 生涯の功績に授与される博物館協会のパヴァオ・リッテル・ヴィテゾヴィッチ賞を受賞
2000年 89歳で亡くなる

MDCのライブラリアン

 バウアー博士の収録データの中には、MDCの要素の一つであるライブラリーに関連する項目は見当たりませんでした。ではMDCの図書館はどのようなライブラリアンが担当していたのでしょうか。
 MDC人物アーカイヴを今度は所属機関名「Museum Documentation Centre」(注)で検索してみました。するとバウアー博士を含む4人の人物がヒットし、そのうちの一人ミラ・ハイム(Mira Heim, 1928-)氏は、ライブラリアンでした。彼女の収録データを次にご紹介します。

ミラ・ハイム
学習分野:歴史学
専門職位:シニア・キュレーター
業務分野:図書館
専門分野:視覚芸術のドキュメンテーション、教育事業
所属機関:ラビンのM.Blažina高校、ザグレブの商業学校、MDC

略歴:
1928年 ヴィンコヴチ(クロアチア東部の都市)に生れる
      ザグレブの哲学部で歴史学の学位取得
      夫と共にラビン(クロアチア西部イストラ半島の都市)に移り、高等学校の教師となる
      数年後ザグレブに戻り、商業学校で教える
1968年頃 MDC創設者のA.バウアー博士の招きにより、MDCの職員となる。初期のMDCスタッフの多くは非常勤ボランティアであったが、彼女は唯一の専門職員だった。彼女はMDC図書館の基礎をつくりあげた。

 MDC人物アーカイブを業務分野「librarianship」で検索すると、ヒットするのはこのミラ・ハイム氏ひとりだけです。このことは彼女がクロアチアの博物館界で著名なライブラリアンであることを示しているといえるでしょう。MDC創設の1955年からハイム氏着任の1968年頃までの間、図書館とそのコレクションがどのように管理されていたかは不明です。
    * * *
 さてここに一人の重要な人物がいます。それはMDC人物アーカイヴの「Bauer」の項目にあったもう一人、「アントニヤ・バウアー(Antonija Bauer, 1913-2003)」です。収録データによるとアントニヤはバウアー博士の夫人で、専門領域はドキュメンテーションと図書館学でした。2000年に亡くなった夫のアントゥンとは60年間共に仕事をしたとあり、バウアー夫妻が出会ったのは1940年前後となります。MDCの創立は1955年ですので、MDCの創立や図書館運営のアイデアにアントニヤ夫人の経歴や思考が何らかの形で反映されているのかもしれません。
 なおMDCの人物アーカイヴが開始されたのは、バウアー博士の亡くなった2年後の2002年でした。人物アーカイヴには著名な博物館専門家の存命中に行われたインタビューも記録されており、アントニヤ夫人やM.ハイム氏の肉声をこのアーカイヴで聞くことができます。

アントニヤ・バウアー
学習分野:法学士
学位:博士
専門職位:ドキュメンタリスト
業務分野:図書館学、ドキュメンテーション
専門分野:視覚芸術のドキュメンテーション
所属機関:クロアチア科学芸術協会グリュプトテークザグレブ法律学

略歴:
1913年 ザグレブに生まれる
      ザグレブ大学法学部を卒業
1945年 ザグレブの哲学部で美術史と考古学の単位を取得
1952年 「石膏像コレクション」にライブラリアンとして就職、夫のアントゥン・バウアーと共に、美術史家として働き、石膏像コレクションに関する技術的事項を管理。美術史関連書誌33巻を出版
1953年 法学部でもライブラリアンとして働き(〜1973年)、図書館学の博士号を取得
2003年 90歳で亡くなる

(注)MDC人物アーカイヴの所属機関名の検索窓は機関名を選択する形式で、MDCは「Museum Documentation Centre」という綴りで提示されており、サイトトップの「Museum Documentation Center」という綴りとは異なっている。

バウアー夫妻が仕事をした「石膏像コレクション(ギプソテカ)」

 A.バウアー博士は1937年に、クロアチア文化遺産である石膏像のコレクション「ギプソテカ(Gypsoteka)」を創立しました。ギプソテカは19世紀から20世紀にかけてのクロアチアの石膏彫刻コレクションとして成長し、1950年にはクロアチア・アカデミーの一部門となりグリュプトテーク(Glyptotheque)と改称されました。現在では古代からの石膏彫刻約13,000点を収蔵しています。