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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1926(大正15)年10月2日 (86歳) 静寛院宮(和宮親子内親王)の五十年法要に参列 【『渋沢栄一伝記資料』第49巻掲載】

日栄一、芝増上寺に於て執行せられたる、静寛院宮五十年法要に参列す。十一月十七日、当会解散す。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 9章 其他ノ公共事業 / 1節 記念事業 / 8款 静寛院宮五十年御法要奉修道場修理後援会 【第49巻 p.89-98】
・『渋沢栄一伝記資料』第49巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/49.html

1926(大正15)年10月1-3日、静寛院宮(せいかんいんのみや、1846-1877。落飾前は和宮親子内親王)の五十年法要が行われました。それに先立ち、震災で被害を受けた増上寺修復のため、静寛院宮五十年御法要奉修道場修理後援会が結成されました。同会の会長には渋沢栄一の女婿阪谷芳郎が就任、栄一は静寛院宮とは面識はありませんでしたが、発起人代表として尽力しています。
この時の経緯は渋沢栄一秘書増田明六の日誌からの転載として『渋沢栄一伝記資料』第49巻p.91に次のように紹介されています。

十月二日  土  晴               出勤
前十時増上寺ニ於ける静寛院宮五十年法要ニ参列す
静寛院宮の救世的御事績ハ歴史の示す処なるが、此法要ニ際し菩提寺たる増上寺は、震災以来頽廃極ニ達し惨状黙視すべからさる状態にあり、茲ニ阪谷男爵委員長と為り、実行委員として植村澄三郎・星野錫・山本留次・阿部吾市・槙忠一郎・増田明六の六氏を設け、同寺修繕費予算五万五千余円の寄附金を醵集せしむ、六氏ハ斯くして手分けを為し有志を訪問し予定の資を得、同寺を修繕して本日の法要会場ニ充てしめたる次第なり

また『渋沢栄一伝記資料』第49巻p.93-96には、五十年法要が終わった翌日の10月4日に、栄一が静寛院宮について語った「和宮様に就て」と題する文章が、『竜門雑誌』第457号(1926.10)p.114からの転載として紹介されています。

[前略] 皇女としてお生れになり、孝明天皇の御妹君として尊崇せられ、御配偶は徳川第十四代将軍家茂公で、二つとない高位高官の方であります。仮令政略結婚とは申せ、一世の果報を集めた方と見ることが出来ませう。処が他の一面からこれを考へますと、世の艱難を一身にまとはれた方であつたと申すことも出来ます。と申すのは、公武の合体を名として或る人々の策略から、人情を無視し、此の御婚儀を御すゝめしたからであり、真に犠牲になられたからであります。[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第49巻p.95)