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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1909(明治42)年8月23日 航海5日目 - 『赤心一片』で外国礼儀について予習

渋沢栄一 日記  明治四二年         (渋沢子爵家所蔵)
八月二十三日 曇 冷
午前六時半起床、入浴シ、畢テ甲板上ヲ散歩ス、八時半朝飧ヲ食ス、食後[、] ベデカ案内記ヲ訳セシ米国各都会ノ状況及其団体、歴史ノ梗概ヲ略記セル書類ヲ一覧ス、午後一時午飧シ、後喫煙室ニ於テ一行ヲ会同シテ、旅行中ノ規律及行動ニ関スル打合ヲ為シ、各分課ヲ定ム、後遊戯ニ閑ヲ消ス
終日雲霧濛々トシテ四顧分明ナラス、時々汽笛ノ声ヲ聞ク、夕七時晩飧ヲ食シ、後喫煙室ニテ遊戯ス
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.56掲載)


竜門雑誌 第二六一号・第一二―一八頁  明治四三年二月
    ○青渊先生渡米紀行
         随行員 増田明六記
八月二十三日 月曜日 霧稍薄く漸く日光をすかし見る事を得、青渊先生の読書を好まるゝ事は今更云ふ迄も無き事なれども、二十日以来暇さへあれば船室に在りて、又は読書室に入りて読書せらるゝを常とす、此日も朝食前は甲板運動を為し、其後昼食迄は読書室に在られたり
午後青渊先生の注意に依り、喫煙室にて外国礼義に資する為め、園田孝吉氏著赤心一片と云ふ書物の朗読あり、一同謹で之を聞く、婦人を扶けて食堂に入るの段に於ては、之を実地に練習し度しと希望するもの甚多かりしが、実行することを得ざりし、ソロソロ洋食に飽きて日本料理を希望する者多数と為り、ステワートに談じて一行の持寄品を肴として、此夕日本食会第一回を開く、但一団の人員は十五人に限られたれば、其之に加はることを得ざりしものは、不平を唱へたるもありし、晩食後協議会を開く、青渊先生議長と為り、昨年日本の視察に来りし米国太平洋沿岸の実業団体は、日本の各地に於て招待を受けたる際、感謝の意を表する為め日米両国語より成る一の言葉を一同にて唱和したるが、我一行も之と同く彼我共に通ずる壮厳なる一の言葉を定め置き、必要の場合に唱和するの必要あらざるかと提議せらる、一同之に賛成したるを以て、其調査委員として左の諸氏を先生より指名せられたり
  神田男爵    松方幸次郎氏
  岩原謙三氏  渡瀬寅治郎氏
  高石真五郎氏
無線電信は今夜限りにて、明日は通信距離以外に出づるとの掲示ありたり
航程正午三百三十八浬、位置北緯四十四度二十九分・東経百六十三度三十三分、風南
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.69-70掲載)


渡米実業団誌 同団残務整理委員編
  第七五―八六頁 明治四三年一〇月刊
  ○第一編 本記
     第二章 渡航日誌
八月二十三日(月)曇
本日無線電信故障ありて通ぜず、中食後は喫煙室に総会を開き、高石氏団長の命にて園田氏著『赤心一片』の一節、西洋の交際法を朗読す。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.79掲載)

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