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 1918(大正7)年1月4日(金) (77歳) 渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』、冨山房より発売 【『渋沢栄一伝記資料』第47巻掲載】

日栄一、当伝記の発行者を竜門社として、富山房[冨山房]より発売せしむ。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 6章 学術及ビ其他ノ文化事業 / 4節 編纂事業 / 1款 徳川慶喜公伝編纂 【第47巻 p.706-710】

渋沢栄一が旧主徳川慶喜の汚名をそそぐ目的で企図した『徳川慶喜公伝』は、1907(明治40)年の編纂開始から10年後の1917(大正6)年に完成、1918(大正7)年1月4日に発行者を竜門社として冨山房から発売されました。当時の『中外商業新報』は、「新刊紹介」において『徳川慶喜公伝』を次のように紹介しています。

中外商業新報  第一一四一四号 大正七年一月一一日
    新刊紹介
徳川慶喜公伝
  (男爵渋沢栄一著)
著者宿昔の志望に基き玆に本書を大成し以て之を公刊するに至れり、本伝四冊・附録三冊・索引一冊・計八冊本、伝序・凡例・目次・本文索引目次・索引目を通じて総計四千二百四十三頁を算し外に公の肖像慶久公の題字及び百十六箇の写真版を挿入せる浩瀚の書なるが、更に其細目を見るに、本伝全篇三十五章、千百六十六項、附録全篇系図一年譜一、文書記録八百五十三通に添ふるに幾多の引用書目を以てし、索引は本伝と附録とを通じて五十音別の分類井然たるものあり、伝記として此類の書は我国に於て真に得易からざるの大著述となす
[中略] 其自序文及び編纂主任文学博士萩野由之氏の跋文 [中略] に依れば、[中略] 明治廿六年に至り知友故福地桜痴氏に託するに公の伝記編纂の事を以てせり、爾来福地氏は材料の蒐集に伴ひ三十四年を以て之が事務所を置き編纂の事に従ひしが、病気其他の事故を以て進捗予定の如くならず、一時事業中止の末、突如其訃を伝ふ、是に於て男爵は穂積陳重阪谷芳郎両博士と協議の上、穂積博士を介して更に三上参次博士に相談し結局萩野由之博士に此事業の主任を依頼することとなれり、而して萩野博士は福地氏の旧稿を継承することなく、別の立案に基いて起草の順序を立て新に編纂事務に着手するに至りしが、時は是れ明治四十年六月なりき、編纂所の開設は同月末に係る、男爵は著者として、穂積阪谷両博士は顧問として、文学士小林庄次郎氏は起草者として、三上博士と萩野博士とは監修者として、而して萩野博士は又主任として、渋沢家秘書増田明六氏は庶務係として、何れも之に関係鞅掌し、其他数人の編纂員を置いて事業の進行を計れり、編纂員中には文学士渡辺徹氏・同藤井甚太郎氏あり、然るに四十二年九月不幸小林氏の病歿に会するや、井野辺茂雄・高田利吉両氏加はりて編纂員となり、各自分担調査起草の事に従ひ統一訂正は萩野博士専ら之に任ぜり(未完)
(『渋沢栄一伝記資料』第47巻p.708掲載)

中外商業新報  第一一四一五号 大正七年一月一二日
    新刊紹介
徳川慶喜公伝
  (男爵渋沢栄一著)
(承前)又一面に於ては事実をして成るべく誤謬なからしめんが為の趣旨に於て、男爵自ら会主となり、毎年数回の会同を催して、之を昔夢会と称し、会同の都度慶喜公の臨席を仰ぎ、事務関係員の質問に対して公の直話を求るの方法を講じ、更に編纂員は事務功程の進むに従ひ初稿再稿三稿を作成して先づ男爵及び穂積・阪谷の両顧問、三上博士等の批評を経、次に公の劉覧に供して其教正を乞ふなど最善の力を尽し、以て公の生前に於て此事業の完成を期したるところ、大正二年十一月遺憾にも公の薨去を見るの不幸に接す、左はれ関係諸員の努力勤勉は遂に空しからず、公の三周年祭の頃に至りて第三稿の全く成るを告げ、大正六年初頭より印刷に着手し、続いて始めて之を公刊するに至る、[中略] 公後ち公爵の栄班を蒙り、公の国家に対する至誠は彰明せられたるを以て、本事業に関する著者の趣旨は当初と多少其趣を異にしたるものありと雖も、而かも王政復古は結局最後の将軍たりし公の大勢看破と大事決断の勇と忠君愛国の誠とが与つて力あり、即ち其真相を他日に明瞭ならしめ、其事蹟を後世に伝ふるは決して無用の業にあらずとなし、斯くして此事業を進め、成るべく感情に趨らず、勉めて事実を精覈にせる伝記を作り上ぐるに重きを置き、萩野博士亦自家専門の史学見地よりして公平に史実を精査し、中正の態度苟もする所なきを以て期せり
即ち本伝は公の誕生、幼時に始まりて、公爵の栄班・薨去・逸事に亘り、公生涯の伝記事蹟を中心として、幕末及び明治維新に至る我国情対外関係・政変を始め必要なる事項は悉く之を網羅し、所述最も公明厳正を旨としたるのみならず、公の直話、故老の談話、幾多の文書記録・引用書籍に依りて考証の正確を期し、之を叙するに精彩流麗の文を以てするあり、且つ其附録にせる文書記録に至つては、史料上の至宝を以て許すに足る、蓋し公の伝記としては殆んど完璧と言ふべく、幕末及維新史としても天下後世に伝ふべき無比の大著述たるを失はず同時に又我国史学上の光彩及び一大貢献として広く之を推称するの価値あり [中略] (菊版、葵紋入り総クロース、正価金二十円、発行者東京日本橋兜町二竜門社、発売所東京神田裏神保町富山房)(完)
(『渋沢栄一伝記資料』第47巻p.708-709掲載)


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