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 1909(明治42)年7月30日 外務大臣、名古屋商業会所の件でシアトル領事に訓電

渡米実業団誌 同団残務整理委員編
  第六〇五―六一八頁 明治四三年一〇月刊
初め米国よりの正式招待状到着せざる前、今回の招待の件に就いて、既に電報を以て通知を受けたる際、至急準備に取掛るの必要あり、四月十二日、外務大臣は官邸に於いて渋沢男爵・中野会頭、其他京浜間の実業家二十余名を招待し、渡米実業家十五名の振り分け方其他を議し、結局正賓十五名、内東京は四名を、大阪は三名を、横浜・京都・神戸・名古屋は各二名を選出することに協議を纏めたる末、此趣意を以て各関係府県知事に訓令する所ありたり。随つて愛知県知事は、其管下より二名の正賓を選出するやう尽力し、候補者を内定し、其承諾を得て報告したるなり。然るに其後到着せる正式招待状を見るに、前年米国側を招待したる我五商業会議所のみに宛てたるものにして、名古屋は之れに加はらざるを以て、外務大臣は在シヤトル領事を経て、米国接待委員長に対し、名古屋商業会議所を招待に追加することを交渉するの趣意を以て、渋沢団長及び中野委員長に協議を遂げ、其旨七月三十日を以て、田中領事に訓電したり。即ち最初米国よりの招待は、単に我著名なる実業家とのみありたるを以て、帝国政府は名古屋市にも二名の実業家選出を命じたるに、其後到著したる正式招待状には、名古屋をば加へざりしも、名古屋は三府に次ぐの大都市にして、殊に米国貿易には重大なる関係を有する地なれば、之を加ふるは必要なりとして、乃ち其交渉を為すべき旨を訓令し、且つ之を招待に加ふるが為めに、渡米員の予定を超過するなかるべき旨を通告したり。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.37-38掲載)

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