会社名
大成建設株式会社 [Taisei Kensetsu Kabushiki Kaisha]
[Taisei Corporation]
関東大震災時(1923年)の社名:日本土木株式会社 [Nippon Doboku Kabushiki Kaisha]
[Nippon Doboku Corporation]
書誌事項
大成建設社史 / 社史発刊準備委員会編著
東京 : 大成建設, 1963.01
576, 20p, 図版10枚 : 挿図 ; 22cm
Title in romaji: Taisei Kensetsu shashi
外部機関の所蔵データほか
NDL-OPAC / Webcat / 神奈川県立川崎図書館 / Worldcat 1,2 / NDL Search (β) / Webcat Plus 1,2 / Googleブックス 1,2 / 社史ウィキ
「関東大震災」に関する本文の概要 (p230-236)
- 1923(大正12)年の震災で日本土木の本社と大倉組本館は全焼、明治以来の記録書類が全て蒸し焼きになった。
- 日本土木が施工し無事だった帝国ホテルに震災後仮本部を置き、復旧活動に取り掛かった。
- 死傷者の救護や罹災者を収容する応急建築物、官公庁の仮庁舎建設等に全力をあげた。施工中の明治神宮外苑聖徳絵画記念館から丸太などの足場材を取り外して、緊急避難広場となった外苑の救護施設建築に提供した。また協調会の委託でバラックの医療施設も急造した。
- 日本土木ではこの難関に冷静に対処するため、放慢を慎み暴利を戒める等5カ条の業務刷新の心得を全社員に向け発した。
- 1924(大正13)年3月の決算は未曾有の赤字となり、経営陣の交代が行われた。
- 震災の困難を乗り越えたことを忘れないために、毎年9月1日には玄米のにぎり飯を従業員に配給するようになった。
目次にあらわれた「関東大震災」関連事項
項目 | ページ |
---|---|
第七章 日本土木株式会社 / 二 関東大震災 | 230 |
午前十一時五十八分 | 230 |
日本土木本社・大倉本館も焼く | 231 |
帝国ホテルの仮本部 | 232 |
工事現場の情況と応急復旧作業 | 232 |
業務刷新の五ヵ条 | 233 |
経営陣交代 | 234 |
震災記念にぎり飯 | 235 |
年表にあらわれた「関東大震災、地震、災害」関連事項
年月日 | 内容 | 年表種別 |
---|---|---|
1855(安政2)年10月2日 | 江戸大地震、商用にて大阪に在り難を免る | 創業前史・大倉喜八郎事歴 主要事項 |
1891(明治24)年10月28日 | 濃美大地震 | 創業以降 参考事項 |
1923(大正12)年9月1日 | 関東地方大震災、当社社屋、大倉本館内部焼失 | 創業以降 主要事項 |
1923(大正12)年9月 | 流言浮説取締令、モラトリアム、暴利取締令公布、諸外国救援物資着く | 創業以降 参考事項 |
1923(大正12)年9月 | 京浜間をはじめ関東一帯の工事場の被害大、救護と得意先復旧工事に全力をあぐ | 創業以降 主要事項 |
1931(昭和6)年1月1日 | 労働者災害扶助法及び労働者災害扶助責任保険法実施 | 創業以降 参考事項 |
1936(昭和11)年2月 | 財団法人日本土木建築労働者災害扶助会設置 | 創業以降 参考事項 |
「社史紹介」へのリンク
- 社史紹介「た」
〔渋沢栄一記念財団 実業史研究情報センター / 社史プロジェクト〕
http://www.shibusawa.or.jp/center/shashi/shasi_ta.html#01