会社名
三菱造船株式会社長崎造船所 [Mitsubishi Zosen Kabushiki Kaisha Nagasaki Zosenjo]
1945年時点の会社名:三菱重工業株式会社長崎造船所 [Mitsubishi Jukogyo Kabushiki Kaisha Nagasaki Zosenjo]
書誌事項
創業百年の長崎造船所 / 三菱造船株式会社編
東京 : 三菱造船, 1957.10
726p(図版共), 図版24枚 ; 29cm
Title in romaji: Sogyo 100-nen no Nagasaki Zosenjo
外部機関の所蔵データほか
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「戦時生産、復興」に関する本文の概要(p104-106, 285-338)
- 1941(昭和16)年12月8日の太平洋戦争勃発を境に戦時生産が強化され、戦局の推移により従来の大鑑巨砲の原則から航空母艦中心の機動部隊に切り替えられた。艦船や機器生産のかたわら新兵器開発に不断の努力を余儀なくさせられた。三菱重工業(株)長崎造船所は軍需工場の指定を受け、海軍に徴用された商船は次々空母に改装されていった。
- 1938(昭和13)年に起工した戦鑑武蔵の突貫工事が極秘裏に進められ、1942(昭和17)年に引き渡しが完了した。南太平洋上の戦闘に加わった武蔵は1944(昭和19)年10月24日フィリピンにて米軍の猛襲を受け沈没した。
- 1945(昭和20)年8月9日原子爆弾が長崎に投下され、爆心地に近い浦上、大橋地区の各工場は一瞬のうちに潰滅した。
- 終戦後、国土復興のため政府は海上輸送力の増強を図ったが、賠償問題、軍需補償の打切り、財閥解体指令のため、業界の前途は暗かった。長崎造船所は占領軍が一部を接収し、操業中止して工員職員28,000余名を整理した。
- 10月から貨物船の建造工事を再開し、食糧確保のため捕鯨船も起工した。船の他生活用品や農業用品等の生産を行い、軍事極秘地区として入場禁止だった構内を一般市民に開放して盛大に造船祭を開催した。その後小型客船から大型貨物船の建造も始まり、費用は米国対日援助見返り資金でまかなった。新造船だけでなく修理船工事も次第に活発になった。
- 三菱重工業(株)は過度経済力集中排除法により三分割され、長崎造船所は1950(昭和25)年西日本重工業(株)に継承された。
目次にあらわれた「戦時生産、復興」関連事項
項目 | ページ |
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百年の歩み / 造機百年の歩み / 8. 太平洋戦争中の特攻兵器について | 104 |
戦時生産期 昭和16(1941)年〜昭和20(1945)年 | 285 |
〔写真〕 / 第二次世界大戦への突入から、終戦まで | 285 |
〔写真〕 / “日の丸船隊”続々と空母に改装さる | 286 |
〔写真〕 / 武蔵を初めとする戦時下の艦艇建造 | 288 |
戦時生産期概要 | 295 |
戦時生産期の主な製品一覧 | 299 |
〔写真〕 / 超弩級戦艦武蔵について | 300 |
〔写真〕 / 主要建造船舶、艦艇について | 302 |
〔写真〕 / 特攻兵器の製作特攻兵器の製作 | 304 |
戦艦武蔵について | 307 |
復興整備期 昭和20(1945)年〜昭和25(1950)年 | 323 |
〔写真〕 / 終戦後、設備復旧、生産態勢整備に努む | 321 |
〔写真〕 / 世界第3位の海運国の没落 | 322 |
〔写真〕 / 軍需産業より民間産業への転換 | 324 |
〔写真〕 / 漁船の多量建造 | 326 |
〔写真〕 / 新船建造ようやく軌道にのる | 328 |
〔写真〕 / 復興整備期の主要製品 | 330 |
復興整備期概要 | 333 |
年表の「1945年8月」記載事項
年月日 | 内容 | 年表種別 |
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1945(昭和20)年8月4日 | 戦災のため、労務課を第三事務所6階へ、給与課を第三事務所4階へ移転 | 重要事項 |
1945(昭和20)年8月6日 | 広島市に原爆落下 | 参考事項 |
1945(昭和20)年8月8日 | ソヴェト、対日宣戦布告 | 参考事項 |
1945(昭和20)年8月9日 | 11:02原爆投下され、製材工場、幸町工場、淵疎開工場、浜口工場、盲唖学校、酸素工場、浦上寮、駒場寮、三菱工業青年学校など全焼 | 重要事項 |
1945(昭和20)年8月9日 | 長崎市に原爆落下 | 参考事項 |
1945(昭和20)年8月15日 | 太平洋戦争終結、「終戦の詔書」発布 | 参考事項 |
1945(昭和20)年8月15日 | 軍需会社および軍需充足会社の指定を取消 | 参考事項 |
1945(昭和20)年8月17日 | 東久邇内閣成立 | 参考事項 |
1945(昭和20)年8月18日 | 工場の秘匿名を廃止 | 重要事項 |
1945(昭和20)年8月18日 | 学徒3,105名動員解除 | 重要事項 |
1945(昭和20)年8月18日 | 2時間残業制を廃止し、定時退場制に復す | 重要事項 |
1945(昭和20)年8月18日 | 勤務時間を始業07:00、昼休時間40分、終業17:00に変更 | 重要事項 |
1945(昭和20)年8月20日 | 女子挺身隊777名、徴用解除 | 重要事項 |
1945(昭和20)年8月20日 | 業務部と材料部とを合併し業務部とす//業務部に業務課、会計課、購買課、倉庫課、製材工場をおく | 重要事項 |
1945(昭和20)年8月20日 | 工員第1回整理、16,510名発表 | 重要事項 |
1945(昭和20)年8月22日 | 軍需融資打切 | 参考事項 |
1945(昭和20)年8月25日 | 勤労部の職制を管理課、訓育課、給与課、厚生課、三菱工業青年学校に改正(寮務課、協和労務課、学徒課、軍事課、女子青年学校、廃止) | 重要事項 |
1945(昭和20)年8月29日 | 軍需会社の債務処理方針決定 | 参考事項 |
1945(昭和20)年8月30日 | 連合軍最高司令官マッカーサー、厚木に到着 | 参考事項 |
1945(昭和20)年8月 | 飽ノ浦中央発電所に100回線交換機のみ移設 | 重要事項 |
1945(昭和20)年8月 | 当社資本金を10億円に増額 | 重要事項 |
1945(昭和20)年8月 | 国民勤労動員令による就業制限を撤廃 | 参考事項 |
1945(昭和20)年8月 | 船舶義勇戦闘隊編成下命 | 参考事項 |
「社史紹介」へのリンク
- 社史紹介「み」
〔渋沢栄一記念財団 実業史研究情報センター / 社史プロジェクト〕
http://www.shibusawa.or.jp/center/shashi/shasi_ma.html#02