会社名
汽車製造株式会社 [Kisha Seizo Kabushiki Kaisha]
書誌事項
汽車会社蒸気機関車製造史 / 汽車会社蒸気機関車製造史編集委員会著. -- 再版
名古屋 : 交友社, 1972.04
303p(おもに図) ; 29cm
注記: Title in romaji: Kisha Gaisha joki kikansha seizoshi ; 推薦のことば / 青木槐三 ; 序文 / 朝倉希一 ; 付: 昭和15年以降汽車会社略史 ; 限定版(1000部) ; 初版: 1972.03発行(限定2000部) ; 横組み ; 表紙に製造番号2000のプレートの型押し ; 見返しに平岡工場から1972年までの汽車の製造プレートを配置 ; 表題紙に限定番号No.2165
外部機関の所蔵データほか
NDL-OPAC / Webcat / CiNii Books / 神奈川県立川崎図書館 / Worldcat / NDL Search / Webcat Plus / Googleブックス 1,2
社史紹介
明治初期に開設された日本の鉄道は機関車ほかの資材一切を輸入に頼っていた。資材国産化を宿願とした鉄道局長官井上勝(いのうえ・まさる、1843-1910)は退官し、渋沢栄一らの援助を受け1896年(明29)大阪に汽車製造(資)を設立。1901年(明34)には同じく栄一の協力で東京に開業していた平岡熙(ひらおか・ひろし、1856-1934)の平岡工場を合併、以降数多くの蒸気機関車、電気機関車等を製造する。1972年(昭47)川崎重工業に合併。
社史は1941年(昭16)製造の機関車第2000号を記念して社内で執筆した「蒸気機関車2000号記念誌」を元にしたもので、1941年までの内容。川崎重工との合併を機に出版された。会社の沿革に続き蒸気機関車、電気機関車、電車等の製造品別製造史を記述し、製造品の写真を豊富に取り入れている。巻末に1940年以降の略年表あり。初版2000部、再版1000部の限定出版。
参考リンク
- 1950年〜1989年 | 川崎重工の歴史
〔川崎重工〕
http://www.khi.co.jp/company/history/003.html - [社名変遷図紹介] 汽車・自動車製造業 〔商工業:輸送用機器〕 - 渋沢栄一関連会社社名変遷図
〔実業史研究情報センター・ブログ「情報の扉の、そのまた向こう」 - 2011年10月12日〕
http://d.hatena.ne.jp/tobira/20111012/1318384784 - [今日の栄一] 1889(明治22)年6月21日(金) (49歳) 渋沢栄一、日光鉄道の敷設計画顛末について、日本鉄道会社理事委員会で説明 【『渋沢栄一伝記資料』第8巻掲載】
〔実業史研究情報センター・ブログ「情報の扉の、そのまた向こう」 - 2010年6月21日〕
http://d.hatena.ne.jp/tobira/20100621/1277101475 - [栄一ゆかりの地] 【東京】 平岡工場、汽車製造合資会社 【『渋沢栄一伝記資料』第12、53巻掲載】
〔実業史研究情報センター・ブログ「情報の扉の、そのまた向こう」 - 2012年5月11日〕
http://d.hatena.ne.jp/tobira/20120511/1336715383
*このエントリーは、実業史研究情報センターのサイトで公開している「社史紹介」に先駆けて「速報版」として公開するものです。