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情報の扉の、そのまた向こう

公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

今日の栄一

 1901(明治34)年4月19日(金) (61歳) 渋沢栄一、瓜生岩子銅像除幕式で演説 【『渋沢栄一伝記資料』第24巻掲載】

是より先、明治三十二年二月土方亀子等の発起により、故瓜生岩子銅像建設の儀起り、翌三十三年一月委員を選定し、栄一其委員長と為る。是日、浅草公園に於て銅像建設除幕式行はれ、栄一之に出席し、一場の演説を為す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業…

 1920(大正9)年4月12日(月) (80歳) 渋沢栄一、協調会主催社会政策講習所開所式で告辞  【『渋沢栄一伝記資料』第31巻掲載】

是日当会主催社会政策講習所開所式行はる。栄一之に出席して告辞を述ぶ。次いで同年十二月の第二回講習会には科外講義として「社会道徳ニ就テ」と題する講演をなす。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和…

 1912(明治45)年4月5日(金) (72歳) 渋沢栄一、静養中の徳川慶喜を見舞う 【『渋沢栄一伝記資料』第57巻掲載】

是日栄一、国府津に転地静養中の徳川慶喜を見舞ふ。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 3部 身辺 / 5章 交遊 / 1 徳川慶喜 【第57巻 p.396】 『渋沢栄一伝記資料』第57巻目次詳細http://www.shibu…

 1926(大正15)年3月15日(月) (86歳) 渋沢栄一、ポール・クローデルらフランス関係者を飛鳥山に招待 【『渋沢栄一伝記資料』第39巻掲載】

是日栄一、フランス共和国大使ポール・クローデル、同国ソルボンヌ大学教授アルフレッド・フーシェ、パリ医科大学教授シャルル・アシャール、及び日仏会館関係者を、飛鳥山邸に招きて午餐会を催す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実…

 1927(昭和2)年3月8日(火) (87歳) F.H.スミス、渋沢栄一秘書の小畑久五郎に宛て排日派の誤解について書簡を送る 【『渋沢栄一伝記資料』第35巻掲載】

是日、アメリカ合衆国監督教会日本監督のフランク・エッチ・スミス、小畑久五郎に、昨年同国リヴァーサイドに於て催されたる会議に於て、排日派の人士によりて、栄一等が合衆国千九百二十四年移民法に対し既に何等の不満を抱かずとの陳述書の発表せられたる…

 1925(大正14)年3月1日(日) (85歳) 渋沢栄一、日仏会館、日仏協会幹部合同協議会に出席 【『渋沢栄一伝記資料』第36巻掲載】

是日、当会館幹部及び日仏協会幹部合同協議会、丸の内日本工業倶楽部に開かる。栄一出席して両者の意志疎通を計る。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 3節 国…

 1882(明治15)年2月22日(水) (42歳) 渋沢栄一、東京商法会議所会頭として海運関係の法規制定に関する建議書を提出 【『渋沢栄一伝記資料』第17巻掲載】

是日栄一、当会議所会頭として難破船船員給料支給方並に遭難船共担分損法制定の必要を農商務卿西郷従道に建議す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 1部 実業・経済 / 7章 経済団体及ビ民間諸会 / 1…

 1887(明治20)年2月15日 (47歳) 渋沢栄一、東京商工会会頭としてベルギー公使からの照会に回答 【『渋沢栄一伝記資料』第18巻掲載】

是日栄一当会会頭として、ベルギー国特命全権公使ジヨルヂ、ナイト G.Neyt より照会されたる本邦主要貿易商人名並に輸出入品等に関し同公使に回答す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 (十五) / 1部…

 1920(大正9)年2月8日(日) (79歳) 渋沢栄一、尾高次郎の葬儀に列席 【『渋沢栄一伝記資料』第51巻掲載】

是より先、一月二十四日、栄一、鎌倉に当会社社長尾高次郎の病床を訪ふ。是月四日同人歿す。是日、上野寛永寺に於て葬儀執行せられ、栄一列席して、会葬者に謝詞を述ぶ。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−…

 1919(大正8)年2月3日(月) (78歳) 渋沢栄一、八十寿の祝賀会に招待される 【『渋沢栄一伝記資料』第57巻掲載】

是日、浜町常盤屋に於て、東京帽子株式会社主催、栄一の八十寿祝賀会開かる。次いで二十四日、同所に於て、旧渡米実業団員主催の祝賀会開かる。栄一、それぞれ出席す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭…

 1910(明治43)年2月2日(水) (69歳) 外務大臣小村寿太郎、渋沢栄一ほか渡米実業団一行を晩餐会に招待 【『渋沢栄一伝記資料』第32巻掲載】

是日外務大臣伯爵小村寿太郎、栄一以下旧渡米実業団員一同を招きて帰朝歓迎晩餐会を其官舎に開く。内閣総理大臣侯爵桂太郎・農商務大臣男爵大浦兼武臨席、外務・総理両大臣の演説あり、栄一答辞を述ぶ。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並…

 1910(明治43)年2月1日(火) (69歳) 渋沢栄一、第一銀行株主総会で議事を主催。韓国における業務引継ぎや渡米実業団について報告 【『渋沢栄一伝記資料』第50巻掲載】

是日栄一、東京銀行倶楽部に於て開かれたる、当行第二十七期定時株主総会及び臨時株主総会に出席して議事を司宰し、同期業務報告の外、韓国に於ける当行業務引継の経過を報告し、更に昨秋渡米実業団長として渡米せる経緯を報告す。 出典:『渋沢栄一伝記資料…

 1910(明治43)年1月27日(木) (69歳) 渋沢栄一、自治協会招待会でアメリカ旅行談 【『渋沢栄一伝記資料』第48巻掲載】

栄一、明治四十二年八月十九日渡米実業団を率いて渡米し、十二月十七日帰国す。是日栄一、交詢社に於て開かれたる当協会招待会に出席し、米国旅行談をなす。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1…

 1928(昭和3)年1月25日(水) (87歳) 『渋沢栄一滞仏日記』刊行 【『渋沢栄一伝記資料』第48巻掲載】

是日、日本史籍協会より同会叢書の一部として、栄一の著述「航西日記」「巴里御在館日記」及び「御巡国日録」を菊版一冊(四百九十頁)に合本し、「渋沢栄一滞仏日記」と題して発行す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 …

 1926(大正15)年1月18日(月) (86歳) 渋沢栄一、東洋汽船と日本郵船の合併調停案を提示 【『渋沢栄一伝記資料』第51巻掲載】

是日栄一、郷誠之助及び井上準之助と共に、当会社と日本郵船株式会社との合併に関し調停案を提示す。両会社之を受諾す。其骨子は、当会社の桑港線及び南米西岸線の両航路権並に就航船八隻を以て第二東洋汽船株式会社を設立し、該会社を日本郵船株式会社に合…

 1910(明治43)年1月10日(月) (69歳) 渋沢栄一、第1回渡米実業団残務整理委員会に出席 【『渋沢栄一伝記資料』第32巻掲載】

是日 [1910年1月10日] 並に三月二十八日、渡米実業団残務整理委員会開催せられ、栄一出席す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 1節 外遊 / 1款 渡米実業団 …

 1910(明治43)年1月1日(土) (69歳) 渡米実業団からアメリカ合衆国各地の商業団体等に感謝状 【『渋沢栄一伝記資料』第32巻掲載】

是日付を以て、渡米実業団より、アメリカ合衆国各地の商業団体等に対し、感謝状を贈る。栄一之が起草をなし、且団員一同と共に自署す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章…

 1909(明治42)年12月28日(火) (69歳) 渋沢栄一、金牌と徽章を献上するため宮内大臣に面会 【『渋沢栄一伝記資料』第32巻掲載】

是日栄一、宮内大臣公爵岩倉具定に面会し、先にアメリカ合衆国造幣局長より託されたる金牌、及び同国太平洋沿岸聯合商業会議所より託されたる金剛石入徽章を伝献す。翌四十三年一月五日嘉納の旨通達あり、仍て十四日之を米国の関係者に通知す。 出典:『渋沢…

 1909(明治42)年12月26日(日) (69歳) 渋沢栄一、東京市第9回講演会でアメリカ旅行談をなす 【『渋沢栄一伝記資料』第32巻掲載】

是日、東京高等商業学校講堂に於て東京市第九回講演会開催せられ、栄一之に臨みアメリカ旅行談をなす。爾後翌四十三年一月十七日日本橋倶楽部月次会、同月二十二日東京高等商業学校、歓迎会同月二十七日自治協会招待会、二月二十二日第四回議員銀行家連合懇…

 1909(明治42)年12月25日(土) (69歳) 渋沢栄一、東京経済学協会の帰国歓迎会で演説 【『渋沢栄一伝記資料』第46巻掲載】

是月十七日、栄一を団長とする渡米実業団帰国す。当協会、富士見軒に於て、十二月例会を兼ね栄一の歓迎会を開催す。栄一出席して演説をなす。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業…

 1901(明治34)年12月21日(土) (61歳) 渋沢栄一、J.R.モールスと神戸市との紛議を仲裁 【『渋沢栄一伝記資料』第28巻掲載】

神戸市とアメリカ合衆国ゼームス・アール・モールスとの間に神戸市水道公債に関する紛議あり。栄一の仲裁により、是日和解成る。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 2部 社会公共事業 / 6章 政治・自…

 1909(明治42)年12月20日(月) (69歳) 渋沢栄一、東京手形交換所等銀行関係四団体主催による渡米実業団帰国歓迎会で演説 【『渋沢栄一伝記資料』第51巻掲載】

是日、銀行倶楽部に於て当交換所及び東京銀行集会所・銀行倶楽部・東京興信所四団体主催による、渡米実業団京浜団員帰国歓迎会開かる。栄一出席して演説をなす。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 …

 1909(明治42)年12月19日(日) (69歳) 渋沢栄一、渡米実業団帰朝歓迎会で演説 【『渋沢栄一伝記資料』第32巻掲載】

是日、日本貿易協会主催渡米実業団帰朝歓迎会、同協会に開かれ、副会頭池田謙三の歓迎の辞に対し栄一謝辞を述ぶ。同じく是日東京商業会議所主催同所選出渡米実業団員帰朝歓迎会、日本橋倶楽部に催さる。次いで二十日東京銀行集会所等主催京浜間在住渡米実業…

 1909(明治42)年12月17日(金) (69歳) 渋沢栄一を団長とする渡米実業団一行、横浜に帰着 【『渋沢栄一伝記資料』第32巻掲載】

是日栄一、渡米実業団を率ゐて横浜に上陸し、直に東京に入り、宮内省に出頭し、宮内大臣を経て帰朝の旨を奏上す。午後、東京外五商業会議所聯合会主催同団帰朝歓迎式、東京商業会議所に催さる。外務大臣伯爵小村寿太郎・農商務大臣男爵大浦兼武の祝辞に対し…

 1901(明治34)年12月14日(土) (61歳) 渋沢栄一、竜門社月次会でケンペル『日本誌』など、日本近世史について演説 【『渋沢栄一伝記資料』第26巻掲載】

栄一、是日及び一月・三月の当社月次会に出席し、三回に亘り、近世史(特にケンペル著「日本鎖国論」)に就き演説す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 2部 社会公共事業 / 3章 道徳・宗教 / 5節 修…

 安政5戊午年12月7日[西暦:1859年1月10日] (18歳) 渋沢栄一、尾高千代と結婚 【『渋沢栄一伝記資料』第1巻掲載】

尾高勝五郎第三女千代子を娶る。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 1編 在郷及ビ仕官時代 天保十一年-明治六年 / 1部 在郷時代 / 2章 青年志士時代 【第1巻 p.217-219】 『渋沢栄一伝記資料』第1巻目次詳細http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/01.html 安政5年12…

 1923(大正12)年12月3日(月) (83歳) 渋沢栄一、クラーク等の知己を飛鳥山邸に招待する 【『渋沢栄一伝記資料』第39巻掲載】

是日栄一、アメリカ合衆国ポートランド市ダグラス樅材伐採輸出株式会社代表者オー・エム・クラーク等を、飛鳥山邸に招きて午餐会を催す。次いで七日、明治四十二年渡米実業団主催の歓迎晩餐会、芝紅葉館に開かれ、栄一出席す。翌大正十三年一月十二日、留別…

 1909(明治42)年11月30日(火) (69歳) 渋沢栄一ら渡米実業団一行、帰国にあたり留別の宴を開催 【『渋沢栄一伝記資料』第32巻掲載】

是日栄一等渡米実業団一行、サン・フランシスコを発して帰航の途に就くに当り、接伴委員、カリフォルニア州知事及び同地在留の日本人等を船中に招きて留別の宴を開く。十二月六日ホノルルを訪ひ、同日横浜に向つて発す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社…

 1909(明治42)年11月26日(金) (69歳) 渡米実業団、サンフランシスコに到着 【『渋沢栄一伝記資料』第32巻掲載】

是日栄一等渡米実業団一行、サン・フランシスコに着す。同日及び二十九日、栄一及び日本六商業会議所代表者等、アメリカ合衆国太平洋沿岸各商業会議所代表者と相会し、両者協力して貿易の増進拡張を図らんことを決議す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社…

 1918(大正7)年11月16日(土) (78歳) 渋沢栄一、第一次世界大戦休戦祝賀会に出席、戒めの演説を行う 【『渋沢栄一伝記資料』第48巻掲載】

是より先十一月十一日、世界大戦の休戦条約調印せらる。是日、東京交換所の発起による、組合銀行及び各代理交換加入銀行主催休戦祝賀会、丸の内東京銀行集会所に於て開かる。栄一出席して祝賀演説をなす。次いで十八日、フランス代理大使主催休戦祝賀午餐会…